東海道歩き、第二回。前回は日本橋から鈴ヶ森まで歩きましたが、今回は少し事情があって、スタート地点が飛んでいます。
というのも――この先の街道沿いには、相方の実家があるのです。箱根駅伝のコースにもなっている、あの道沿い。「自分の実家の前を、わざわざ歩いて通るのはどうも気恥ずかしい」。そんな相方のたっての希望(?)により、その区間はまるごとスキップ。私たちは横浜の保土ヶ谷宿、相鉄線の天王町駅から、しれっと歩き始めることにしたのでした。
空は快晴とまではいきませんが、歩くにはちょうどいい、穏やかな天気。気負わず――と言いたいところですが、歩き出しはやっぱり気合い十分。今日もわくわくしながら、二歩目を踏み出しました。

保土ヶ谷宿 ── 静かなスタート
時間が早いのか、連休中でもっと遠くへ行ってる人も多いのか私たちのほかに街道を歩いている人の姿は見かけません。観光地のにぎわいとは無縁の、静かなスタートです。
天王町から保土ヶ谷宿の中を進んでいくと、旧東海道の史跡を伝える案内板が要所に立っていて、歴史を少しだけ垣間見ることができます。さらに歩くと、五月の空に鯉のぼりが泳ぎ、その下には堂々とした常夜灯。そこから続く道は、どこか昔の街道の名残をとどめていて、「ああ、東海道を歩いているんだな」としみじみ感じる一角でした。


権太坂 ── この日の正念場、そして富士山
さて、保土ヶ谷宿を抜けると、いよいよこの日の正念場――権太坂です。東海道きっての難所として知られる坂で、道ばたには「権太坂」と刻まれた石標が立っています。
初めて挑む長い登り坂は、正直なところ、なかなかこたえました。じわじわと続く勾配に息も上がります。……とはいえ、これはあくまでこの時点での話。後にあの箱根の峠を越えることになる私たちからすれば、今思えば「どうってことのない坂」だったのですが、そのときはまだ知る由もありません。目の前の坂を、一歩ずつ登っていきました。

そして登りきった先で、ふと遠くに目をやると――富士山。思いがけず姿を見せてくれた霊峰に、疲れも忘れて気持ちが晴れました。坂を越えたご褒美のような眺めです。

—
武相国境(境木)── 「ああ、そうなんだ」
坂を登りきったところが、武蔵国と相模国の境目「境木(さかいぎ)」。地面には武相国境を示す立派な地図プレートが埋め込まれていて、「京都百十七里」などと刻まれています。

ただ正直に言うと、このモニュメントを見ても「ああ、そうなのね」という程度で、いまひとつ実感はわきませんでした。それよりも、道路にふつうに立っている地名の標識のほうが、「本当に県境に入ったんだ」と実感がわきます。現在の地名のほうがわかりやすいですし。
—
黙々と歩く ── 生活の道を行く
しばらく黙々と歩く区間が続きます。
街道はゆるやかに坂を下り、住宅地のなかへ。ふと足元を見ると、坂道だけ円い滑り止め模様のついた舗装になっていたり、塀には選挙ポスターが貼ってあったり、道ばたにはパン工場の大きな看板。名所旧跡というわけではない、ごくふつうの郊外の景色ですが、こういう「生活の道」をただ歩く時間も、街道歩きの地味な楽しみです。


途中、「旧東海道 不動坂」と書かれた案内柱が立っていました。地図には「現在地」の文字。保土ヶ谷宿と戸塚宿のちょうど中間あたり、まだ道のりは半ばです。

お昼ごはん ── 力をつけるには、やっぱり肉
そろそろお腹も空いてきました。通り沿いを歩いていると、ちょうどよく食事処を発見。迷わず入ります。
メニュー選びの方針は、予算と客入り具合(比較的すぐ入れそうなとこ)。そして力をつけるには、やっぱり肉。鉄板の上でジュージューと音を立てるハンバーグを前に、午前中の権太坂で使った体力をしっかり充電しました。歩いた後の肉は、理屈ぬきにおいしい。

戸塚宿 ── 相方の、懐かしい道
さて、お腹も満たされたところで、いよいよ戸塚宿へ。宿場の出入口にあたる「見付」の案内板が、旧東海道らしさをそっと教えてくれます。(昼食は後ろに映ってる店で食べました)

戸塚宿は、JRの線路が街道を横切る場所。線路ぎわには史跡の案内板や踏切をかたどったモニュメントが立ち、ちょうど電車が通り過ぎていきました。

相方は、生まれも育ちも都内。この戸塚のあたりにも馴染みがあるようで、線路や町並みを懐かしそうに眺めていました。何やらぽつぽつ語っていたのですが……正直、ずいぶん前のことなので、何を言っていたかはもう忘れてしまいました。まあ、そういうのも旅の記録ということで。
澤邊本陣跡 ── “かつて”を歩く
戸塚宿の中ほどに、「澤邊本陣跡」と刻まれた石柱が立っています。本陣とは、参勤交代の大名や公家など、身分の高い人だけが泊まれた格式高い宿。戸塚宿の中心だった場所です。で、おそらく京都から東京へ移動した明治天皇の休憩場所の石碑が合わせて立っていたりしてます。

とはいえ、ここにももう建物は残っていません。石柱と説明板が立つだけで、まわりはふつうの住宅が並んでいます。
——思えば、この旅で訪ねる先々が、たいていこうでした。「ここにかつて○○があった」。その”かつて”を示す石柱や案内板だけがぽつんと立ち、当時の建物そのものは、もうない。歴史は地面に刻まれているけれど、目には見えない。思いを馳せながら当時の旅人になった気分で歩くこともありました。
—
大坂松並木 ── 撮りそびれた松
戸塚宿を出ると、道は「大坂」と呼ばれる坂にさしかかります。その名も「大坂松並木」。かつては松並木が美しかった坂道です。
……と、えらそうに書いていますが、実はこのとき私が撮っていたのは標柱と案内板ばかり。肝心の松並木は、あとで他の方のサイトを見て「あ、ちゃんと松、あったんだ」と気づいた始末です。この頃の私ときたら、相方に言われるがまま、宿場や案内板の写真ばかり律儀に残していて、肝心の風景を撮りそびれていたのでした。歩くことに夢中だったのですね。

それでも、このあたりはアップダウンの続く道。坂を登るたび、ふいに視界がひらけて町並みが見渡せる瞬間があって、息を整えながらの眺めに、ずいぶん癒されました。

藤沢宿へ ── 写真を撮ったら、はい次!
道はいよいよ藤沢宿へと近づいていきます。旧東海道沿いには諏訪神社の鳥居が立っていて、せっかくの神社……なのですが、このときの私たちときたら、すっかりゴールを目指すモードに突入。お参りするでもなく、「写真を撮ったら、はい次!」と、足を止めるのもそこそこに先を急ぎます。神様、ごめんなさい。

その先にも、古い松の木とともに石碑や案内板がぽつりぽつり。藤沢宿はもう目と鼻の先です。さすがに脚には疲れがたまっていましたが、不思議とテンションは高いまま。ゴールが近いと分かると、人は元気が出るものですね。

ゴール、そして夜
そして、ついに――JR藤沢駅に到着!
「ついたよー! 歩いたよー、私たち!」。思わずそんな声がもれる、素直な達成感。日本橋からの続きを、今日もまた一歩ぶん、自分の足で延ばすことができました。脚はくたくたですが、心はすっかり満ち足りています。

夜は宿泊先で食事を済ませた……はずなのですが、正直なところ、何を食べたかはもう覚えていません(いかんせん10年近く前だしw)。当時の写真に残っているのは、夜の街で見かけた、あの有名なラーメン二郎の行列。歩き疲れた体で、なぜかその列だけはしっかりカメラにおさめていたのでした。(個人的には並んででもラーメン食べたかった・・・。)

—
おわりに
保土ヶ谷宿から、権太坂を越え、武蔵と相模の国境をまたぎ、戸塚宿を抜けて、藤沢宿へ。アップダウンに脚を使いながらも、富士山や思いがけない眺めに励まされた一日でした。
次は藤沢宿から、大磯を目指して歩きます。
コメントを残す