再開2日目の朝です。前日は浜松(高塚駅)から二川まで49,475歩。足に昨日の分がしっかり残っていますが、歩き旅の朝はいつも早いのです。
この日は二川宿から、吉田宿・御油宿・赤坂宿と3つの宿場を抜けて、名電長沢駅まで歩きました。

この日の歩数は40,692歩。7時台から元気に歩いています
二川駅からスタート
宿は新所原駅の近くだったので、電車で二川駅まで戻ってからスタートです。歩数計のグラフを見ると、7時台にはもう歩き出していました。われながら早い。
二川から豊橋の中心部まではおよそ6km。街道らしい風情というより、ふつうに街の中を歩いていく感じの道です。
途中、立派な門のお寺がありました。石造りのアーチの上に木造の楼がのった、ちょっと珍しい形の門です。

路面電車に足が止まる
豊橋の街なかに入って、東八町の大きな交差点で歩道橋にのぼると、路面電車が走っていました。

地方で路面電車を見るのは珍しかったので、歩道橋の上からしばらく眺めて、動画まで撮ってしまいました。先を急ぐ旅なのに、こういうところで時間を使うのがわたしたちです。
歩道橋のたもとには、小さな門が復元されています。吉田城の城下町の東の入口、東惣門です。
吉田宿 ― 暮らしが続いている宿場
吉田宿は東海道34番目の宿場で、吉田城の城下町として栄えたところです。


歩いていて思ったのは、吉田宿は「忘れ去られた場所」ではなく、人の生活がずっと続いている場所なんだな、ということです。街なかに本陣跡があって、まわりにはお店が並び、路面電車が走っている。おそらく昔からこの地域の中心として働き続けてきた町なのでしょう。
史跡だけがぽつんと残っている宿場もあれば、こうして今の暮らしの中に溶けこんでいる宿場もある。歩いてみないと分からない違いです。
食いしん坊センサー、発動
そんな吉田宿で、通りがかりに和菓子屋さんを見つけました。「八町もちや」さんです。

まだ朝早い時間なのに、次々と人が並んで買っていきます。これは買ったほうがいいのではないか。食いしん坊センサーが働きました。
これが大正解。
ふだんはスーパーの和菓子で十分満足しているわたしですが、お餅のやわらかさと、あんこのほどよい甘さがとてもおいしくて、あっという間に食べてしまいました。ちょうど端午の節句の前日。いい時期に、いいお店の前を通りました。

今回のお供は、刀剣乱舞の鶴丸と膝丸です。
豊川を渡って、伊奈へ
西惣門の復元を過ぎると、吉田宿もおしまいです。
そして大きな川を渡ります。豊川です。

ここから御油宿まではおよそ10km。この日いちばん長い区間です。
途中の伊奈には、立場茶屋の跡がありました。立場というのは、宿場と宿場のあいだにあった休憩所のこと。茶屋を営んでいた加藤家の跡に、芭蕉と、その門人の烏巣の句碑が立っています。
ニワトリ、いました
このあたりを歩いていて、ふと見ると、広い敷地の駐車場をニワトリが歩いていました。

ふだん見かけるニワトリとはちょっと違う姿だったので、つい写真を撮ってしまいました。そういえばこの近辺、ニワトリやうずらを扱うお店をちらほら見かけます。豊橋はうずらの卵の産地として知られているそうで、なるほど、と納得しました。
わたなべ珈琲店 ― 相方の一声で超大正解
お昼どき、通りかかったのが「わたなべ珈琲店」さんです。

ジャズが好きな相方が「入ってみようか」と言うので入ってみたら、これが超大正解でした。
店内は広くて、ジャズのレコードを聴くための大きなステレオがあって、とにかくゆったりしています。歩き旅のいい休憩になりました。
お昼はシーフードのトマトパスタ。おいしかったです。朝に柏餅を食べているので、量もちょうどよし。

そしてアイスコーヒー。コーヒーを凍らせた氷に、コーヒーを注いで飲むスタイルです。久しぶりに見ました(わたしの初めての氷コーヒーはミスドです)。これなら最後まで薄まらずに飲めますね。

ほんとうはゆっくり味わいたかったのですが、先を急ぐ身。時間がなくて、このコーヒーだけは心残りです。
国府の明治天皇御聖跡
お店を出て少し歩くと、「明治天皇御聖跡」の案内板がありました。明治元年、明治天皇が京都から東京へ向かう途中、ここ国府でご休憩になったそうです。案内板によると、その行列は総勢三千人あまり。この道を三千人が通ったと思うと、いつもの東海道が少し違って見えます。
御油宿 ― 花・ベルツさんのこと
音羽川を渡ると、35番目の宿場、御油宿です。

川沿いは桜並木。こういう景色を見るたびに「桜の季節に来たいなあ」と思うのですが、全然行けていません。
御油宿で足が止まったのが、「花・ベルツゆかりの地」の案内板でした。

花・ベルツさん(1864〜1937)は、明治政府がドイツから招いた医師ベルツの奥さんです。日本で近代医学を広めたベルツを支え、明治38年(1905年)に夫とともにドイツへ渡りました。ベルツが亡くなったあともドイツに残りましたが、大正11年(1922年)に帰国。この場所は、花さんのお父さんの生家で、江戸時代に「戸田屋」という旅籠を営んでいたところだそうです。
わたしはこの案内板で、初めて花さんのことを知りました。
外国の人との結婚が今よりずっと大変だった時代に、相手の国へ渡ったのはすごいことだと思います。でも、最後は日本に帰ってきている。自分の言葉が通じる場所で最期を迎えたい、という気持ちは分かる気がします。日本で過ごすことが、彼女にとっていい選択だったのね、と思いました。
御油の松並木
御油宿を抜けると、国の天然記念物「御油の松並木」です。およそ600メートルにわたって、江戸時代からの松が街道の両側に並びます。

歩いてみた感想は……うん、並木道。並木道でした。
いえ、立派なんです。東海道でもこれだけ残っているところは貴重なんです。ただ正直なところ、4万歩の途中のわたしの感想は「並木道だなあ」でした。松のみなさん、すみません。
ちなみにここは『東海道中膝栗毛』で、弥次さんが「狐に化かされた」と思い込んで喜多さんを縛りあげてしまう場面の舞台です。このあと豊川稲荷へ行くわたしたちには、なかなか縁のある場所でした。
赤坂宿 ― え、もう次の宿場?
松並木を抜けると、もう36番目の赤坂宿です。
御油から赤坂までは、わずか1.7kmほど。東海道でいちばん短い宿場間です。……ということを、わたしはこの記事を書くときに初めて知りました。歩いているときは何も気づいていません。
宿場の入口近く、関川神社には芭蕉の句碑があります。

夏の月 御油より出でて 赤坂や
夏の夜の短さを、御油と赤坂の近さにたとえた句です。芭蕉さんはちゃんと気づいていたのに。
赤坂宿公園には、駕籠の模型がありました。これは乗せるしかありません。

風景や史跡だけを撮っていると、ちょっと味気ないかなと思うのです。そのためにお供を連れてきているので、こういう場所では迷わず乗ってもらいます。
名電長沢駅でゴール
赤坂宿からさらに歩いて、名鉄の名電長沢駅でこの日はゴールです。これは予定どおり。このあたりは街道沿いに泊まれる場所がなく、距離の都合でここを区切りにしました。


ここから電車で豊川稲荷へ向かいます。
夕暮れの豊川稲荷
宿に荷物を置いて、夕方の豊川稲荷へ。
まず、大きさに驚きました。お稲荷さんでここまで大きいところを見たのは初めてです。

ところで豊川稲荷、じつは神社ではなくお寺なのだそうです。正式には曹洞宗の妙厳寺(みょうごんじ)。鳥居もあるのに、お寺。紛らわしい!
本殿はもう閉まっていたので、境内をぶらぶら歩きました。ちょうど日が沈むころで、木立のあいだから夕日が差しこんできます。

自分のなかでは、すてきな写真が撮れたと思っています。きつねの像がずらりと並ぶ霊狐塚にも行った……はずなのですが、記憶があいまいで、きつねさんの写真は一枚もありません。次に行くときの宿題です。
夜はおでんで乾杯
日が沈むと少し肌寒くなってきたので、夜はおでんにしました。「京町屋 おでんのゆう三」さんです。



どれもおいしかったです。4万歩のあとのビールと、あたたかいおでん。最高です。
酔っ払いの新幹線予約
さて、気分よく飲みながら「明日の帰りの新幹線、取っておくね」とスマホで予約をしました。
しばらくすると、乗車のお知らせメールが届きます。なんで今来るんだろう、と思いつつ、そのまま忘れて飲み続けました。
翌日、よく見てみたら。
予約していたのは「明日」ではなく「今日」の同じ時間の新幹線でした。おでんを食べているあいだに、わたしたちの席は空のまま走り去っていたのです。
特急料金は返ってきませんでした。乗車賃のほうは後日精算されましたが、なかなか高いおでんになりました。お酒を飲みながらの予約は、日付をよく確かめましょう(自戒)。
おわりに
それでもこの日は、朝の柏餅、お昼のわたなべ珈琲店、夜のおでんと、朝から晩までごはんに恵まれた一日でした。とても満足です。
通りがかりで見つけたお店が、ぜんぶ当たり。食いしん坊センサーは、歩けば歩くほど冴えるのかもしれません。新幹線の予約にも働いてくれるといいのですがw
きょうも、てくてく。
コメントを残す