• シルバーウィーク、唯一の晴れ間に

    2026年9月22日(火)。シルバーウィークで唯一、雨が降らなかった日でした。

    このところ長雨で思うように外に出られず、正直ちょっとイライラしていました。なので今回のテーマは「とにかく散歩!」。行き先は相方のリクエストで、テレビの『孤独のグルメ』に出てきたという砂町銀座商店街。私は「商店街ね、はいはい」くらいの気持ちで付いていったのですが、蓋を開けてみれば、芭蕉あり、無料コーヒーあり、マニアックな電車ありの、盛りだくさんな一日になりました。

    朝9時過ぎに家を出て、帰宅は16時ごろ。歩数は16,696歩でした。

    大島駅から、丸八通りを南へ

    スタートは都営新宿線の大島駅。A3出口から地上に出て、丸八通りを南へ向かいます。

    都営新宿線・大島駅A3出口。ここから丸八通りを南へ。

    とりあえず覗いた神社に、芭蕉がいた

    歩き始めてすぐ、通り沿いに神社が見えたので「とりあえず覗いてみよう」と入ったのが大島稲荷神社。

    赤い提灯が並ぶ大島稲荷神社の鳥居。神社だけのつもりで入ったら……。

    境内をぐるっと見ていたら、いらっしゃいました。松尾芭蕉の像と句碑です。

    芭蕉といえば私は「夏草や 兵どもが 夢の跡」くらいしか知らない人間なので(正直に告白します)、こんなところに芭蕉ゆかりの場所があるとは新鮮でした。

    後で調べてみると、この句は芭蕉が小名木川を舟で下って小松川方面に向かった際、この神社に立ち寄って詠んだと伝わっているそうです。芭蕉が住んでいた深川の芭蕉庵は、小名木川が隅田川に注ぐあたり。つまりこの辺りは芭蕉の生活圏だったわけで、川沿いの歩道がきれいに整備されているのも、そうした歴史と絡めたものなのだろうなと納得しました。「奥の細道」の旅立ちも深川からなので、いつか芭蕉庵の跡も歩いてみたいと、ぼんやり思い出した次第です。

    小名木川を渡る

    神社を出て、小名木川にかかる橋を渡ります。

    小名木川。江戸時代に掘られた運河で、今もまっすぐ東西に伸びています。両岸に遊歩道が整備されていて、歩くのが気持ちいい川です。

    小名木川は、徳川家康が江戸に入って間もないころ、行徳の塩を江戸に運ぶために掘らせた運河と言われています。だからこんなに直線的なんですね。芭蕉の時代にはすでに水運の大動脈で、芭蕉もこの川を舟で行き来していたわけです。

    砂町銀座商店街へ

    さらに南へ歩いて、いよいよ本日の目的地、砂町銀座商店街です。

    まだ開店したばかりの時間帯。これから賑やかになります。

    到着したのはちょうどお店が開き始めたころ。テレビで見た店もちゃんとあって、「買って帰ろうか」と相談したのですが……この日、思った以上に気温が高かったのです。総菜や生ものを持って炎天下を歩き続けるのはさすがに無理。結局、眺めるだけで終わりました。

    とはいえ人通りはそれなりに多く、テレビの取材らしき一団も見かけました。空き地にはテーブルと椅子が置かれていて、買ったものをその場で食べられるようになっているのが親切。次に来るときは、時間帯と気温をちゃんと考えて、買い食いを楽しみたいと思います。

    砂町銀座メモ:全長約670m、商店街としては東京でも屈指の規模。午前中は開いていない店も多いので、買い食い目当てなら昼前後からがおすすめ。

    思いがけない無料コーヒー「さようなら先入観カフェ」

    砂町銀座を抜けて、「さて、どうしようか」と話しながら亀戸方面へ。途中、アリオ北砂の建物が見えたので、お花摘み(トイレ休憩です)がてら店内をうろうろ。涼んだところで再び外に出たら、赤いバスが停まっていました。

    「さようなら先入観カフェ」というUCCの企画で、コーヒーを無料で配っていたのです。ありがたくいただいて、飲みながらバスの周りをくるりと一周。「先入観」についてのメッセージがあちこちに貼られていて、読みながら「ふむふむ」と考えさせられます。

    「さようなら先入観カフェ」のカップ。この段ボールのスリーブに仕掛けが。

    そして飲み終わったあと、カップの段ボール部分を外してみると……このコーヒー、ノンカフェインだったと書いてありました。

    まんまとやられました。「ノンカフェインは物足りない」という先入観、私の中にも確かにありました。普通に美味しかったです。さすがUCC。

    亀戸へ向かって

    コーヒーで元気を取り戻して、亀戸に向けて歩きます。

    小名木川を小さな舟が走っていきました。芭蕉もこんなふうに舟で行き来したのでしょうか。

    首都高の高架下、竪川にかかる橋の欄干に浮世絵のパネルがずらり。三代歌川豊国の作品が並びます。

    首都高の下を流れる竪川沿いでは、橋の欄干に浮世絵のパネルが並んでいて、ちょっとしたギャラリーになっていました。日陰なのもありがたい。

    そして亀戸の駅が近づいてきたところで、味噌と醤油の看板を掲げた老舗が。佐野みそ亀戸本店です。全国の味噌が並ぶ、味噌好きにはたまらない店。

    店内には全国各地の味噌がずらり。量り売りもしているのですが、この日は店内が混雑していたので、あらかじめ詰められたものをさっと購入しました。極八丁みそ「家紋」と合わせみそ「手前自慢」、食べる深煎りいりこ、それに庄内の一口茄子のからし漬。ずっしり重くなった(相方の)リュックを背負って、後半戦へ向かいます。

    ランチは「肉の村山」で

    さて、ここからがこの日のハイライト(?)、ランチ探しです。

    途中、気になる洋食屋さんを見かけたのですが、「休日はランチメニューがないから」と相方に却下されました。値段が優先されるのは我が家の掟なので仕方ありません。結局、亀戸の街をうろうろして見つけたのが、ステーキ&ハンバーグの「肉の村山」でした。

    私はコーラ、相方は昼ビール。歩いたあとのジョッキは正義。

    ハンバーグとステーキのコンビ。鉄板の上でジュージュー。

    店内はアメリカンな雰囲気で、お客さんもけっこう入っていました。最近は外国人の従業員さんが多くて、ちょっとよその国に来たみたいな気分になります。お肉は美味しかったです。歩いたあとの肉は正義。

    ……ただ。帰ってから例の洋食屋さんを調べたら、Googleの評価がとても高かったのです。いつか、リベンジします。

    亀戸をぶらぶら

    お腹を満たしたあとは、亀戸駅周辺を少し散策。駅前にはスカイツリーが見え、七福神めぐりの案内板も立っています(香取神社まで400m、亀戸天神社まで800m)。この日は祝日だったので、駅前の通りが歩行者天国になっていました。

    普段は車が行き交う道の真ん中を歩けるのは、なんだか得した気分です。

    名代・亀戸ぎょうざ。相方が会社の人と来たことがあるそうで、いつも混んでいるとか。

    亀戸ぎょうざは、相方が以前会社の人たちと来たことがある店で、いつも混雑しているそうです。今回はお腹もいっぱいなので、場所の確認だけ。こちらもいつかリベンジ対象です。

    成り行きで、東武大師線へ

    さて、帰り道。暑さもあって「もう歩くのはやめて電車で帰ろう」となったのですが、ここで相方が「あまり乗らないルートで帰ろう」と言い出しました。というわけで、東武亀戸線→曳舟→スカイツリーライン→西新井→大師線という、ちょっとマニアックな帰路が決定。

    東武亀戸線は亀戸と曳舟を結ぶ全長3.4kmのミニ路線。2両編成の電車がのんびり往復しています。

    曳舟でスカイツリーラインに乗り換えて西新井へ。そこから今日のお目当て、大師線です。

    東武大師線は、西新井と大師前を結ぶわずか1.0km、一駅だけの路線です。もともとは西新井から板橋方面へ延ばす計画(西板線)の一部として1931年に開業したものの、その先は実現せず、この一駅だけが残ったという経緯があるそうです。短いけれど、乗ってみるとなかなか味わい深い路線でした。

    大師前駅に到着。アーチ型の屋根の下、ホームがやたらと広い。

    改札機のない改札口。

    大師前駅で降りて驚いたのが、ホームの広さ。「無駄に広い」というのが第一印象でしたが、西新井大師の初詣客のことを考えると、これでも狭いくらいなのかもしれません。

    そして改札口。ホームにちゃんと改札の形は残っているのですが、改札機はなく、無人です。運賃の処理は西新井駅側でまとめて行う仕組みなのだそう。おそらく参拝客が一気に押し寄せるときの対策として残されているのだと思いますが、昔の駅の名残がそのまま残っているようで、しみじみと懐かしい気持ちになりました。

    大師前からはバスに乗って帰宅。西新井大師にはお参りしなかったのですが(暑さで力尽きました)、それはまた次の機会に。

    次は「食べる」をテーマに

    改めて振り返ると、芭蕉に出会い、商店街を眺め、無料コーヒーに先入観を崩され、味噌を買い、肉を食べ、マニアックな電車に乗った一日でした。

    そして反省点は「食べ損ねたものが多すぎる」こと。気になった洋食屋、亀戸ぎょうざ、そして砂町銀座の買い食い。次回は「イタリアン制覇と餃子、夜ご飯は砂町銀座で」という、食べる話ばかりの計画を立てています。散歩ブログなのに。

    この日の歩数は16,696歩。午前中にがっつり歩いて、午後は電車でのんびり。

    Screenshot

    きょうも、てくてく。

  • こんにちは、きりこです。

    コロナ禍の様子見を経て再開した東海道歩き、浜松から始まった3日間もいよいよ最終日です。この日は前日のゴール・名電長沢駅から、藤川宿を抜けて岡崎城まで歩きました。

    最終日らしく感動のフィナーレ……となるはずが、最後にしっかりオチがつきました。それはのちほど。

    昨日歩いた道を、電車であっというまに

    宿泊先の豊川稲荷から電車に乗って、名電長沢駅まで戻ります。

    天気は快晴。車窓をぼんやり眺めていると、見覚えのある景色が流れていきます。

    「ああ、ここ昨日歩いたんだ」

    一日かけて、四万歩かけて歩いた道です。それが電車だと、ほんとうにあっというま。感慨深いやら、ちょっと切ないやら。文明ってすごいですね。

    名電長沢駅に着いて、この日も朝8時過ぎに歩き始めました。

    岡崎市に入って、間の宿・本宿へ

    国道1号沿いをしばらく歩くと、青空に「岡崎市」の標識が見えてきました。豊川市から岡崎市へ。徳川家康のふるさとに足を踏み入れます。

    岡崎市に入りました。雲ひとつ……はあるけれど、いいお天気

    ほどなくして、冠木門が迎えてくれるのが本宿(もとじゅく)です。ここは赤坂宿と藤川宿のあいだにある「間の宿(あいのしゅく)」。正式な宿場ではないものの、旅人が休憩する場所としてにぎわったところです。

    本宿の入口に立つ冠木門。ここから旧道に入ります

    どう見てもここで死んでないはずの人のお墓

    本宿でぜひ寄りたかったのが、法蔵寺です。家康が幼いころに手習いをしたと伝わるお寺なのですが、私の目当ては別にありました。

    地図を見ていたら、あったんです。近藤勇の首塚が。

    近藤勇といえば新選組の局長。東京の板橋で処刑されたはずで、板橋にはちゃんと石碑まであります。どう見てもここで亡くなっていないはずの人のお墓が、なぜ三河に。

    アニメ「薄桜鬼」で新選組を知ったにわかファンとしては、これは寄らずにいられません。相方にリクエストして寄り道しました。

    言い伝えによると、京都の三条河原に晒された近藤の首を同志が持ち出し、ゆかりのあった僧を頼ってこの地に葬った、とのこと。ほんとうのところは分かりません。

    でも、胸像を前にして思いました。ここには、近藤勇を敬愛していた人の思いが建っているんだな、と。真偽よりも、そう信じて守ってきた人たちがいたことのほうが、胸に残りました。

    法蔵寺を出て少し歩くと、本宿の一里塚跡の石柱がありました。

    そのあとは国道沿いをてくてく。並走する名鉄の赤い電車が、気持ちよさそうに走り抜けていきます。朝あれに乗っていたんだよなあ、と思いながら見送りました。

    藤川宿~今はもうない場所を、しっかり残す

    東海道37番目の宿場、藤川宿に入ります。

    格子のある家並みが続いて、いかにも街道らしい雰囲気。歩いていてうれしくなる道です。

    本陣跡は広場として整備されていて、冠木門や高札場が再現されていました。建物そのものはもうありません。でも「ここに本陣があった」ということを、きちんと形にして残している。今はもうない場所を、それでもしっかり残す。その姿勢がすてきだなと思いました。

    ちなみに資料館は、たしかお休みでした。行ったら閉まっている。もう私たちあるあるです。

    むらさき麦

    本陣跡の広場の一角に、「むらさき麦栽培地」の看板がありました。

    むらさき麦は藤川の名物で、松尾芭蕉も「ここも三河 むらさき麦の かきつばた」と詠んでいます。一度は途絶えたものを、地元の方々が復活させたのだそうです。

    看板には「藤川小学校の児童が大事に育てています」の文字。穂がほんのり紫に色づいていて、ちょうど見ごろでした。子どもたちが育てた麦が、芭蕉の見た景色をいまに伝えている。いいなあ、と素直に思いました。

    近くで見ると、穂がちゃんと紫色。5月が見ごろです

    藤川から岡崎へ、ひたすら歩く

    ここからは正直に書きます。ひたすら歩いていました。

    気温はそれなりに暑く、でも足はまあ大丈夫。3日連続にしては上出来です。

    道中、相方が「ここがウンタラカンタラ」と何やらうんちくを語っていたようなのですが、すみません、まったく覚えていません。右から左へ、三河の風とともに流れていきました。写真も撮り忘れています。

    岡崎は城下町を守るために道をくねくねと曲げた「二十七曲り」で有名なので、きっとそのあたりの話だったのだと思います。たぶん。

    岡崎城~家康公のふるさと

    お昼ごろ、岡崎宿(38番目の宿場)の中心、岡崎城に到着しました。

    乙川の河川敷に出ると、テントやキッチンカーがずらり。ゴールデンウィークのイベントの真っ最中で、たいへんなにぎわいです。

    乙川の対岸からでも分かるにぎわい。お昼はここに決定

    お昼はここでいろいろ買って食べました。こういうとき相方は結構なケチモードに入るので、たしか焼きそばとか、お団子とか、そのあたりだったような気がします。

    乾杯はなし。前日にしこたま飲んだので、さすがに自粛です。

    お腹を満たして、岡崎城へ。お堀にかかる赤い神橋と新緑、足もとには白いツツジ。お城のまわりはどこもお手入れが行き届いていて、きれいなお城だなあと思いました。

    岡崎城は徳川家康が生まれたお城。いまの天守は昭和34年(1959年)に復元されたものです。

    【写真】(IMG_1216) キャプション案:岡崎城天守。松の緑によく映えます ※人物にぼかし処理が必要

    せっかくなので天守にも登りました。金網ごしではありますが、眺めは上々。乙川の流れと岡崎の街、遠くの山並みまで見渡せます。3日間歩いてきた方角を眺めて、よく歩いたなあとしみじみしました。

    そして、例の件が発覚

    天守を降りて、そろそろ帰ろうかというころ。

    相方「新幹線、何時に乗るの?」

    確認しようと予約画面を開いた私は、固まりました。

    ・・・・・日付が、違う。

    はい、前回の記事でも触れた、例の件です。帰りの新幹線の予約日を間違えていました。ここで発覚です。

    慌てて予約を取り直しました。相方は責めることもなく、とりあえず駅員さんに「いくら返金されますか」と確認。返ってきた答えに「ああ、やっぱり」という顔をしていました。

    旅の手配は全部私に任せっぱなしなので、あまり文句は言えないのだと思います。ありがたいような、申し訳ないような。

    帰りは名鉄の東岡崎駅から。駅ではケンミンの焼ビーフンの自動販売機を発見して、最後にちょっと笑いました。

    その後は新幹線で、無事に帰りました。

    3日間を歩き終えて

    この日の歩数は 31,162歩。

    3日間の合計は、

    • 1日目(浜松~二川):49,475歩
    • 2日目(二川~赤坂):40,692歩
    • 3日目(赤坂~岡崎):31,162歩

    あわせて 121,329歩 でした。

    久しぶりに歩けて、楽しかったです。疲れたけど。

    今回はなんといっても、2日目においしいご飯に出会えたのが幸せでした。

    まだコロナの影響が残っていた時期で、マスクは欠かせませんでしたし、「遠くから来ました」と声高に言うのは少しはばかられる空気もありました。それでも、こうして出歩けるようになったこと、また東海道の続きを歩けたことが、ほんとうによかったです。

    次は岡崎から先、いよいよ尾張へ向かいます。新幹線の予約は、日付を三回確認してから取ります。

    きょうも、てくてく。


  • 再開2日目の朝です。前日は浜松(高塚駅)から二川まで49,475歩。足に昨日の分がしっかり残っていますが、歩き旅の朝はいつも早いのです。

    この日は二川宿から、吉田宿・御油宿・赤坂宿と3つの宿場を抜けて、名電長沢駅まで歩きました。

    Screenshot

    この日の歩数は40,692歩。7時台から元気に歩いています


    二川駅からスタート

    宿は新所原駅の近くだったので、電車で二川駅まで戻ってからスタートです。歩数計のグラフを見ると、7時台にはもう歩き出していました。われながら早い。

    二川から豊橋の中心部まではおよそ6km。街道らしい風情というより、ふつうに街の中を歩いていく感じの道です。

    途中、立派な門のお寺がありました。石造りのアーチの上に木造の楼がのった、ちょっと珍しい形の門です。

    路面電車に足が止まる

    豊橋の街なかに入って、東八町の大きな交差点で歩道橋にのぼると、路面電車が走っていました。

    地方で路面電車を見るのは珍しかったので、歩道橋の上からしばらく眺めて、動画まで撮ってしまいました。先を急ぐ旅なのに、こういうところで時間を使うのがわたしたちです。

    歩道橋のたもとには、小さな門が復元されています。吉田城の城下町の東の入口、東惣門です。

    吉田宿 ― 暮らしが続いている宿場

    吉田宿は東海道34番目の宿場で、吉田城の城下町として栄えたところです。

    歩いていて思ったのは、吉田宿は「忘れ去られた場所」ではなく、人の生活がずっと続いている場所なんだな、ということです。街なかに本陣跡があって、まわりにはお店が並び、路面電車が走っている。おそらく昔からこの地域の中心として働き続けてきた町なのでしょう。

    史跡だけがぽつんと残っている宿場もあれば、こうして今の暮らしの中に溶けこんでいる宿場もある。歩いてみないと分からない違いです。

    食いしん坊センサー、発動

    そんな吉田宿で、通りがかりに和菓子屋さんを見つけました。「八町もちや」さんです。

    まだ朝早い時間なのに、次々と人が並んで買っていきます。これは買ったほうがいいのではないか。食いしん坊センサーが働きました。

    これが大正解。

    ふだんはスーパーの和菓子で十分満足しているわたしですが、お餅のやわらかさと、あんこのほどよい甘さがとてもおいしくて、あっという間に食べてしまいました。ちょうど端午の節句の前日。いい時期に、いいお店の前を通りました。

    今回のお供は、刀剣乱舞の鶴丸と膝丸です。

    豊川を渡って、伊奈へ

    西惣門の復元を過ぎると、吉田宿もおしまいです。

    そして大きな川を渡ります。豊川です。

    ここから御油宿まではおよそ10km。この日いちばん長い区間です。

    途中の伊奈には、立場茶屋の跡がありました。立場というのは、宿場と宿場のあいだにあった休憩所のこと。茶屋を営んでいた加藤家の跡に、芭蕉と、その門人の烏巣の句碑が立っています。

    ニワトリ、いました

    このあたりを歩いていて、ふと見ると、広い敷地の駐車場をニワトリが歩いていました。

    ふだん見かけるニワトリとはちょっと違う姿だったので、つい写真を撮ってしまいました。そういえばこの近辺、ニワトリやうずらを扱うお店をちらほら見かけます。豊橋はうずらの卵の産地として知られているそうで、なるほど、と納得しました。

    わたなべ珈琲店 ― 相方の一声で超大正解

    お昼どき、通りかかったのが「わたなべ珈琲店」さんです。

    ジャズが好きな相方が「入ってみようか」と言うので入ってみたら、これが超大正解でした。

    店内は広くて、ジャズのレコードを聴くための大きなステレオがあって、とにかくゆったりしています。歩き旅のいい休憩になりました。

    お昼はシーフードのトマトパスタ。おいしかったです。朝に柏餅を食べているので、量もちょうどよし。

    そしてアイスコーヒー。コーヒーを凍らせた氷に、コーヒーを注いで飲むスタイルです。久しぶりに見ました(わたしの初めての氷コーヒーはミスドです)。これなら最後まで薄まらずに飲めますね。

    ほんとうはゆっくり味わいたかったのですが、先を急ぐ身。時間がなくて、このコーヒーだけは心残りです。

    国府の明治天皇御聖跡

    お店を出て少し歩くと、「明治天皇御聖跡」の案内板がありました。明治元年、明治天皇が京都から東京へ向かう途中、ここ国府でご休憩になったそうです。案内板によると、その行列は総勢三千人あまり。この道を三千人が通ったと思うと、いつもの東海道が少し違って見えます。

    御油宿 ― 花・ベルツさんのこと

    音羽川を渡ると、35番目の宿場、御油宿です。

    川沿いは桜並木。こういう景色を見るたびに「桜の季節に来たいなあ」と思うのですが、全然行けていません。

    御油宿で足が止まったのが、「花・ベルツゆかりの地」の案内板でした。

    花・ベルツさん(1864〜1937)は、明治政府がドイツから招いた医師ベルツの奥さんです。日本で近代医学を広めたベルツを支え、明治38年(1905年)に夫とともにドイツへ渡りました。ベルツが亡くなったあともドイツに残りましたが、大正11年(1922年)に帰国。この場所は、花さんのお父さんの生家で、江戸時代に「戸田屋」という旅籠を営んでいたところだそうです。

    わたしはこの案内板で、初めて花さんのことを知りました。

    外国の人との結婚が今よりずっと大変だった時代に、相手の国へ渡ったのはすごいことだと思います。でも、最後は日本に帰ってきている。自分の言葉が通じる場所で最期を迎えたい、という気持ちは分かる気がします。日本で過ごすことが、彼女にとっていい選択だったのね、と思いました。

    御油の松並木

    御油宿を抜けると、国の天然記念物「御油の松並木」です。およそ600メートルにわたって、江戸時代からの松が街道の両側に並びます。

    歩いてみた感想は……うん、並木道。並木道でした。

    いえ、立派なんです。東海道でもこれだけ残っているところは貴重なんです。ただ正直なところ、4万歩の途中のわたしの感想は「並木道だなあ」でした。松のみなさん、すみません。

    ちなみにここは『東海道中膝栗毛』で、弥次さんが「狐に化かされた」と思い込んで喜多さんを縛りあげてしまう場面の舞台です。このあと豊川稲荷へ行くわたしたちには、なかなか縁のある場所でした。

    赤坂宿 ― え、もう次の宿場?

    松並木を抜けると、もう36番目の赤坂宿です。

    御油から赤坂までは、わずか1.7kmほど。東海道でいちばん短い宿場間です。……ということを、わたしはこの記事を書くときに初めて知りました。歩いているときは何も気づいていません。

    宿場の入口近く、関川神社には芭蕉の句碑があります。

    夏の月 御油より出でて 赤坂や

    夏の夜の短さを、御油と赤坂の近さにたとえた句です。芭蕉さんはちゃんと気づいていたのに。

    赤坂宿公園には、駕籠の模型がありました。これは乗せるしかありません。

    風景や史跡だけを撮っていると、ちょっと味気ないかなと思うのです。そのためにお供を連れてきているので、こういう場所では迷わず乗ってもらいます。

    名電長沢駅でゴール

    赤坂宿からさらに歩いて、名鉄の名電長沢駅でこの日はゴールです。これは予定どおり。このあたりは街道沿いに泊まれる場所がなく、距離の都合でここを区切りにしました。

    ここから電車で豊川稲荷へ向かいます。

    夕暮れの豊川稲荷

    宿に荷物を置いて、夕方の豊川稲荷へ。

    まず、大きさに驚きました。お稲荷さんでここまで大きいところを見たのは初めてです。

    ところで豊川稲荷、じつは神社ではなくお寺なのだそうです。正式には曹洞宗の妙厳寺(みょうごんじ)。鳥居もあるのに、お寺。紛らわしい!

    本殿はもう閉まっていたので、境内をぶらぶら歩きました。ちょうど日が沈むころで、木立のあいだから夕日が差しこんできます。

    自分のなかでは、すてきな写真が撮れたと思っています。きつねの像がずらりと並ぶ霊狐塚にも行った……はずなのですが、記憶があいまいで、きつねさんの写真は一枚もありません。次に行くときの宿題です。

    夜はおでんで乾杯

    日が沈むと少し肌寒くなってきたので、夜はおでんにしました。「京町屋 おでんのゆう三」さんです。

    どれもおいしかったです。4万歩のあとのビールと、あたたかいおでん。最高です。

    酔っ払いの新幹線予約

    さて、気分よく飲みながら「明日の帰りの新幹線、取っておくね」とスマホで予約をしました。

    しばらくすると、乗車のお知らせメールが届きます。なんで今来るんだろう、と思いつつ、そのまま忘れて飲み続けました。

    翌日、よく見てみたら。

    予約していたのは「明日」ではなく「今日」の同じ時間の新幹線でした。おでんを食べているあいだに、わたしたちの席は空のまま走り去っていたのです。

    特急料金は返ってきませんでした。乗車賃のほうは後日精算されましたが、なかなか高いおでんになりました。お酒を飲みながらの予約は、日付をよく確かめましょう(自戒)。

    おわりに

    それでもこの日は、朝の柏餅、お昼のわたなべ珈琲店、夜のおでんと、朝から晩までごはんに恵まれた一日でした。とても満足です。

    通りがかりで見つけたお店が、ぜんぶ当たり。食いしん坊センサーは、歩けば歩くほど冴えるのかもしれません。新幹線の予約にも働いてくれるといいのですがw

    きょうも、てくてく。

  • 3年ぶりの再開、そして「金谷はどこへ?」

    前回の第八歩、岡部から金谷まで歩いたのが2019年4月。それから3年、東海道歩きはずっとお休みしていました。理由はもちろんコロナです。

    ホテルが取れないわけではないけれど、県外の人が来るのは地元の方も嫌だろうし、地域によっては予約自体を受け付けていないところもありました。実際に自分も感染してけっこうきつかったので、「落ち着くまでは無理」と判断して、しばらく様子見。そして2022年のゴールデンウィーク、ようやく「行ける」と決まったときは、本当に嬉しかったです。

    さて、ここで鋭い読者の方はお気づきかもしれません。前回のゴールは金谷。今回のスタートは浜松。……その間の金谷~浜松、約40kmはどうしたの?

    飛ばしましたw

    ルートを決めるとき、相方が「もう電車でも回ったから良いんじゃね?」。私も「まあ、良いかな」。二人して何にも考えてなかった、というのが正直なところです。というわけで、東海道歩きは浜松から再開となりました。

    高塚駅から歩き始める

    新幹線で浜松へ、そこから在来線に乗り換えてJR高塚駅へ。まだ人出も控えめで、電車はゆったり座れました。感無量……とまではいかなくても、久しぶりに遠くへ行けることにワクワクしていました。

    今回、前回までと違うのは準備です。おやつやエネルギーチャージのドリンクを計画的に揃えて出発。3年の間に、歩き旅の心得は少し進歩したようです。

    高塚駅を出ると、すぐに旧東海道の史跡が現れます。篠原の立場跡は、慶長6年(1601年)に設けられた休憩所で、明治元年には明治天皇が御小休されたという由緒ある場所。茶屋「浅田屋」の格子窓が今も残っています。

    少し進むと坪井村の高札場跡。住宅の間にちょこんと残る小さな祠で、この辺りの「札木」という地名は高札場に由来するのだそうです。

    狛犬ならぬ狛鹿――春日神社

    休憩がてら立ち寄った春日神社で、珍しいものを見つけました。参道の両脇に立っているのは狛犬ではなく、鹿。石灯籠にも鹿が彫られています。奈良の春日大社とご縁の深い神社とのことで、なるほど鹿なのですね。狛犬ならぬ狛鹿、初めて見ました。

    これぞ東海道――舞阪の松並木

    馬郡を過ぎると、旧東海道の松並木が現れます。久しぶりに見る松並木に「これぞ東海道!」と気分が上がります。エネルギーチャージゼリーを飲みながら、元気に歩みを進めました。

    松並木の入口には、太鼓を叩く「浪小僧」の石像。遠州の民話に登場する海の妖精で、海が荒れる前に太鼓を鳴らして知らせてくれるのだそうです。

    舞坂宿と脇本陣

    松並木を抜けると、江戸から数えて30番目の宿場、舞坂宿に入ります。見付石垣(宝永6年の古地図にすでに描かれているという古いもの)、一里塚跡、常夜燈と、宿場の入口らしい史跡が続きます。

    舞坂宿の脇本陣は、東海道で唯一現存する脇本陣の建物として公開されています。見られる建物があればとりあえず中に入ってみる――これもこの旅の醍醐味ですw

    上段の間には金襴の座布団と脇息、竹の結界。中庭には白砂利に飛び石。そして「上湯殿」――大名専用のお風呂桶は、黒漆に内側が朱塗りという豪華なものでした。

    とはいえ、こうした建物は旅の途中で幾度となく見ているので、「まあ、こんなもんか」と一通り眺めたら、次第に空が広く見えてくる方へ足を進めます。

    空が広くなる方へ――舞阪漁港と浜名湖

    宿場を抜けると、そこは舞阪漁港。晴れていて、海が近いと街全体が明るいような気がします。北雁木の石畳の船着き場に、木造の常夜燈。漁船の向こうには浜名湖、そして遠くに赤い鳥居が小さく見えました。

    浜名湖へ向かう途中には魚介のお土産屋さんがあったので、しらすを買って自宅へ宅配予約しておきましたw 歩き旅では荷物を増やせないので、宅配は強い味方です。

    浜名湖を渡る

    弁天島へ渡る橋の上から見た今切口は、エメラルド色。天気が良くて風も気持ちよく、初めての浜名湖をこの目で見ることができて良かったです。爽やかな風景でした。

    赤い欄干の橋の向こうを新幹線が走り抜けていきます。新幹線の車窓から何度も見てきた浜名湖を、今度は歩いて渡っているのが不思議な感じでした。

    お昼は「浜名湖はませい」

    お昼ご飯はどうしようかと思いつつ歩いていると、目に入った大きい定食屋さん「浜名湖はませい」へ。まだコロナからの回復途上で店員さんの数が少なく、けっこう待たされてしまいましたが、これは仕方ないですね。

    名物のうなぎは、コロナのおかげか品切れw 刺身御膳をいただきました。甘えびにまぐろに白身、茶碗蒸し付き。

    ただ、ここで食べたのは正解でした。この先、新居から白須賀、二川まで、お店がほとんどなかったからです。浜名湖を渡ったら、弁天島~新居あたりで昼食を済ませておくことを強くおすすめします。

    新居関所――実は全国唯一だった

    新居町駅の前を通って、新居関所へ。広い砂利の敷地に大御門、船着き場の再現、そして面番所には関所役人の等身大人形が並び、鉄砲や突棒・袖搦・刺股といった武具も展示されています。

    歩いていたときの私の感想は「広いなー」「人形まで置いて気合入ってるなー」でした。

    ……が、この記事を書くにあたって調べて分かったのですが、新居関所は江戸時代の関所の建物が現存している、全国で唯一の場所なのだそうです(箱根の関所は復元)。道理で気合が入っているわけです。ちゃんと説明を読みなさい、と過去の自分に言いたいですw

    新居宿から潮見坂へ

    関所を過ぎると新居宿。飯田武兵衛本陣跡、疋田八郎兵衛本陣跡と、本陣跡の碑が続きます。疋田本陣は建坪190坪で、徳川御三家や吉田藩など約120家が利用したと案内板にありました。

    明治天皇御野立所址は、明治元年(1868年)、東京へ向かう明治天皇が豊橋から新居へ向かう途中で休憩された場所。この日の朝に通った篠原の立場跡でも明治天皇が休まれていましたから、今日は一日、明治天皇と同じ道を歩いていたことになります。

    そして。ここから、この日最大の難所、潮見坂の登りです。

    潮見坂――目の高さにある海

    潮見坂は、きつい登りでした。

    古い家並みの間を抜けて、じわじわと登っていく坂道。でも振り返ると、遠州灘の海が遠くまで見えます。不思議だったのは、坂の下に海があるはずなのに、途中までは海が目の高さと同じくらいにあるように見えたこと。……疲れてたのかなw

    潮見坂は汐見坂・塩見坂・観潮坂とも書き、東海道屈指の景勝地として数々の紀行文に登場する場所。西国から江戸へ向かう旅人にとっては、ここが初めて太平洋の大海原と富士山を望める場所だったそうです。永享4年(1432年)には室町幕府6代将軍・足利義教が富士見物の帰りにここで休息し、歌会を開いたとか。歌川広重の「東海道五十三次 白須賀」も、この潮見坂から遠州灘を見下ろす構図で描かれています。

    ……というのは、坂の上の説明板に書いてあったことですが、その場では読んでいませんw 白須賀宿の休憩施設には寄ったものの、体力回復のためのおやつを食べるので精一杯。久しぶりの長距離は、やはりきつかったです。

    ついに静岡県脱出

    白須賀宿を過ぎ、加宿の境宿を過ぎて、道はやがて「愛知県 豊橋市」の標識へ。

    長かった。本当に長かった。

    第六歩の吉原から数えて、静岡県内だけで4回分。3年の中断を挟んで、ようやく県境を越えました。

    二川宿へ

    県境から二川宿までは、あと少し。二川宿は慶長6年(1601年)設置、東海道53次の33番目の宿場で、本陣や旅籠「清明屋」、商家「駒屋」などが江戸時代の宿場町の景観を今に伝えています。

    ……なのですが、二川宿本陣資料館に着いたときには、残念ながら閉館後。看板だけ写真に収めて、二川駅へ向かいました。

    新所原のスーパー惣菜ディナー

    この日の宿は、二川駅周辺に見つからず、電車で新所原駅近くのビジネスホテルへ。ついでに言うと食べるところもほとんどなく、唯一開いていたお寿司屋さんは一見さんお断りの気配(空いてたけど、新規のお客を受け付ける様子なしw これもコロナのせい?)。

    近くにスーパーがあったので、お惣菜を買ってホテルで食べました。これがまた、お米が美味しくなかった……。コメだけはケチらないでほしい。

    前回の焼津といい、宿場町に泊まれない・食べられない問題は、現代の東海道歩きの宿命のようです。

    そして、この日の歩数は49,475歩。第八歩の45,525歩を超えて、この旅の新記録です。よく歩いた!疲れた!

    3年ぶりの一日を振り返って

    コロナの影響はなくなりつつあっても、まだまだ――そんな一日でした。お店の人手不足、閉まっている店、受け付けてもらえない店。旅は人混みを通るわけではないのでマスクはしつつも心配はしていませんでしたが、街の側はまだ回復の途中なのだと感じました。

    それでも、晴れた空の下で初めての浜名湖を渡り、潮見坂の上から遠州灘を見て、静岡県を歩き切った一日。準備したおやつとエネルギーチャージのおかげか、久しぶりの長距離を最後まで歩き通せました。

    金谷~浜松の空白は、いつか埋める日が来るのでしょうか。……たぶん来ないと思いますw

    きょうも、てくてく。

  • 今回は閑話休題。東海道からは少し離れて、東京駅で千疋屋をハシゴしてウロウロした話です。

    食べたい病、発病

    この夏休みは久しぶりに家族で集まって、茨城でメロンを食べる予定でした。ところがタイミングが悪く、肝心のメロンにはあり付けず。夏休みはどこも混んでいて、楽しい反面、疲れました。

    そんなわけで、どうやら「食べたい病」を発病していたようです(笑)。千疋屋のメロンとか、果物のメロンとか。美味しいメロンとか。(しつこいw)とにかく食べたかった。

    この日は一人です。相方は職場の同僚と出掛けていました。というより、相方はこういう店は好きではないのです。理由は、高いから(笑)。あえてそういう日を狙って行きます。

    一軒目:京橋千疋屋(東京駅一番街)でフルーツカレー

    まずは八重洲側、東京駅一番街の京橋千疋屋へ。

    千疋屋には何度か足を運んだことがあるのですが、ほとんどパフェを食べるためでした。フルーツカレーはずっと気になっていたものの、味がなんだか想像できなくて、躊躇していたのです。でも今日は思い切って食べてみようと決心して、注文しました。

    フルーツカレーセット、ミニサラダ付きで2,500円くらい。

    サラダにはスイカやバナナが入っています。果物と野菜の味が決して喧嘩することなく、美味しく食べられました。

    カレーもちゃんとフルーツとルーの味がケンカしないように、スパイスがブレンドされているようです。パイナップル以外は馴染んでいる印象でした。

    本来の目的、メロン

    そして、本来の目的だったメロン。パフェではなく、果物そのものを食べてみたくなって、単品で注文しました。これも2,500円くらいです。

    カレーとほぼ変わらない値段ですが、それを差し引いてもあまりある美味しさで、私的には高いと思いませんでした。まあ、口に入れてスッとなくなるんですもの。甘さも甘すぎず、くどくなく、もう最高に美味しい果物でした。

    二軒目:KITTEの日本橋千疋屋総本店でメロンジュースとフルーツサンド

    そのまま丸の内側へ移動して、KITTEの中の千疋屋へ。まだ食べたい病は続いてます(笑)

    もちろんこちらでもメロンを楽しみたかったのですが、単品メニューはジュースくらいしか見当たらず。パフェはお値段も量も多いかなと思ったので、メロンジュースと、気になったシャインマスカットのフルーツサンドをしっかりいただきました。

    ジュースはメロンの優しい甘味で、ゆっくり味わいながら飲みました。

    フルーツサンドは、クリームと果物の甘さのバランスがしっかり考えられていて、甘さ控えめのクリームに果物の甘味で美味しくいただけました。こちらは飲み物と合わせて4,000円くらい。お腹いっぱいでした。セットではなく単品の合計です。

    消化のためにウロウロ:KITTEの屋上から

    さすがに食べすぎたので、消化するためにウロウロします。

    何度も行ってる割にはKITTEは屋上まで上がったことがなかったので、登ってみたくて行きました。

    こじんまりとした広さですがのんびりと景色を堪能できます。外国人観光客も多かったですね。

    東京駅をしっかり見ることができて、いろんな電車の出入りを眺めることができて、楽しかったです。

    超高層ビルから見える景色とは違う、でも建築当時としては高かったであろう屋上からの眺め。私にとっては、ちょうど良い眺めでした。

    鉄道系YouTubeで見たあの場所へ

    屋上から駅を眺めながら、鉄道系YouTubeの人が案内していた場所が駅の中にあったよな、と思い出して行ってみることに。

    まずは原首相遭難現場。歴史で習ったりしていた割には、ちゃんと確認したことがなくて、「そういえばどこだっけ」と思いながら、「ああ、ここなんだ」と知りました。

    今でも普通に券売機の横に、ポスターに囲まれながら碑があるのが、なんだか不思議な感じがしました。下の方にある白い印が襲撃にあった場所のだそうです。

    それから10番線の東海道本線の起点標と、丸の内の壁の大理石にあるカニの化石。どちらもYouTubeで見たので、確認しに行きました。

    本当にあった!

    でも、そういった人たちの情報がなければ、あえて観に行かないものですよね。それもまた、楽しいお散歩でした。

    おわりに

    この日の歩数は8,200歩。14時ごろには帰宅しました。まもなくバケツをひっくり返したような大雨と雷。早めの帰宅で正解でした。

    食べたい病は治りました。ただ、お財布はかなり痛かったです(笑)。次はパフェか、果物アソートでも良いですね。頻繁には行けませんがw

    超大満足な一人散歩でした。

  • 8回目の東海道の旅、最終日です。

    昨日に引き続き、あいにくの雨。 窓の外を見ながらしばらく粘ってみたものの、結局この日は歩くのを断念しました。 というわけで今回は「歩く」のではなく「乗る」「登る」「食べる」の番外編です。

    歩数計はもちろん0歩。お供たちも心なしか静かです。

    荷物はロッカーへ、まずは掛川城

    雨予報が分かった時点で、相方から「それなら鉄道に乗ろう」とリクエストがありました。 帰りは掛川から新幹線に乗ることにして、荷物は掛川駅のコインロッカーへ。身軽になったところで、まずは駅から歩いてすぐの掛川城へ向かいます。

    小雨の中、石段を登ります。雨の日のお城というのも、それはそれで風情があります(と自分に言い聞かせます)。

    掛川城の天守は、当時の姿を木造で復元したものだそうです。中に入ると、この城を築いた山内一豊の騎馬像がお出迎え。

    天守からの眺めは、雨に煙る掛川の街。晴れていればもっと遠くまで見えたのでしょうけれど、これはこれで。

    続いて二の丸御殿へ。畳の間がいくつも連なる中に、「次の間」「三の間」と札が立っています。城主と謁見できるのは身分の高い者だけ、通される部屋も身分次第。そんな説明を読みながら、白と赤の打掛が飾られた部屋を眺めていました。

    こういう部屋で、当時の人たちが暮らし、政をして、頭を下げたり下げられたりしていたわけで。そんな場所を経て、人の流れが今にも続いているのだと思うと、なんだか不思議な感覚になります。今さら思うことですけれども。

    スローライフトレインで、のんびり天浜線

    掛川駅に戻り、天竜浜名湖鉄道のホームへ。やってきたのは「Slow Life Train」と書かれたレトロな一両編成でした。

    私はこの電車に乗るのは初めて。多少知識のある相方についていく形です。

    車内に入ってまず目に飛び込んできたのが、窓に掛かったカーテン。座席の背もたれにも花柄の布が掛けられていて、都内ではまず見ない車内風景に、乗る前からワクワクしていました。

    とにかく「カーテンのついている電車」というのが珍しくて、かわいらしくて、素敵だなあと。

    雨だったので途中下車はせず、ひたすら車窓を眺めるのんびり旅。田植えを終えたばかりの水田が、雨に打たれて一面鏡のようになっていました。

    途中の遠州森駅には「森の石松」の看板。気賀駅では古い木造の駅舎とベンチが雨に濡れていました。

    車窓を眺めながら、人混みに揉まれることもない電車。たまには良いですよね。

    終点の新所原からJRに乗り換えて浜松へ向かいます。

    浜松、とりあえず登る

    浜松に着いたものの、雨の街中を散策というのはやはり厳しい。厳しいと思いながらも、結局ウロウロしてしまうのが私たちです。

    まず向かったのは浜松城。城を見たらとりあえず登るという習性があるのか、行ってしまいますね。タワーもそうですが。

    家康が青年期を過ごした「出世城」。若き日の家康公像が、雨の中でも凛としていました。

    街のあちこちで見かけたのが、浜松市のキャラクターたち。「出世法師 直虎ちゃん」に「出世大名 家康くん」。

    大河ドラマの舞台になった地域は、とにかく気合いが入っていますね。聖地巡礼というほどではありませんが、それに近い形でキャラクターを作って、観光誘致に力を入れているのが伝わってきます。家康くんのはかまがピアノの鍵盤なのは、さすが楽器の街。

    そしてやはり登ってしまうタワー。展望階から見下ろす浜松の街は、雨雲の下でどこまでも灰色でした。

    冷えた体を温めに、OMG KITCHENというお店でほうじ茶のアーモンドラテをいただきました。

    令和どら焼きと、時代の変わり目

    浜松から掛川へ戻り、ロッカーの荷物を回収して新幹線へ。

    この旅は、ちょうど元号が変わる節目にあたっていました。せっかくなので近くで見つけた「令和」と焼き印の入ったどら焼きを記念に買って、新幹線の中でお供たちと一緒にいただきました。記念なのに食べてしまうあたりが私です。

    そういえば相方はその後、パレードを見に行っていました。私はテレビで見ておりましたw

    この日の雨について、「熱田神宮の剣が動いたから雨が降った」なんて話もちらほら見かけました。そういう、ある意味伝説の中を生きている私たちは、なんだかすごい節目に立ち会っていたのかもしれません。前の代替わりのときも確か見ていたはずなのですが、子どものときと大人になってからでは、関心の度合いも変わってくるものですね。

    歩けなかった最終日。でも、カーテンのついた電車に揺られて、城に登って、どら焼きを食べて。これはこれで、8回目の旅らしい締めくくりだったように思います。

    きょうも、てくてく。

  • 2019年4月29日、歩き旅再開の2日目です。

    この日は朝からどんよりとしたイマイチなお天気。それでも前に進むしかない!と、テンションを上げるためのぬい達と一緒に、まずは恒例の万歩計「0」の儀式からスタートです。今日のお供は山姥切國広。

    前日は焼津のホテルに宿泊。東海道からは離れていたので、タクシーで街道まで戻ってから歩き始めました。

    藤枝宿へ

    歩き出してほどなく、「藤枝市 八幡」の東海道ルネッサンスの道標に出会います。川沿いの道を進むと「旧東海道・鬼島の建場」の石碑が。ここには弥次さん喜多さんでおなじみ『東海道中膝栗毛』の一節が刻まれていました。江戸の旅人たちもここで一休みしたのでしょうか。

    そして東海道藤枝宿の大きな案内板が見えてきました。

    相方リクエストの田中城

    このあたりから、いよいよ天気が崩れ始めてきました。雨用の装備は毎回持ってきていたのですが、昨年は一度も出番がなかったレインコート、傘、バッグ用カバーがここにきて大活躍です。

    雨の中向かったのは、相方のリクエストで決まった田中城。徳川家康公が鷹狩りに通い、最期の鯛の天ぷらを食べた地とも言われるお城です。

    史跡・田中城下屋敷には、花菖蒲と芍薬の咲く庭園に茶室、そして石垣の上に建つ本丸櫓。櫓の中の展示によると、信玄・信長・秀吉・家康が宿泊したそうで、そうそうたる顔ぶれです。

    ところでこの田中城、住所も田中で城も田中城。てっきり城主の名前が田中さんなのかと思ったら、地名の田中からきているのだそうです。

    さらに面白いのが、本丸跡が現在は西益津小学校になっていること。校庭の一角には田中城のミニチュア模型が置かれ、円形の縄張りが再現されています。校舎内にもミニチュアらしきオブジェが見えました(外から覗いた限りですがw)。子供たちに「ここにはお城があったんだよ」と教えているのでしょうか。地元の思い入れの深さを感じます。城址の利用のされ方が土地によっていろいろ違うのは、歩いていて面白いところです。

    偶然の藤まつり

    続いて立ち寄った蓮華寺池公園では、ちょうど「藤まつり」が開催中でした。もちろん偶然です。この旅、全てにわたってこんな調子ですw

    藤棚から滝のように垂れる藤の花はとても綺麗で、写真をたくさん撮りました。池にはスワンボート、岸辺には鯉のぼりの群れ。朝ラーメンを出している屋台もあったりと、なかなかの賑わいでした。藤枝の名の通り、藤の名所なんですね。

    隣接する藤枝市郷土博物館・文学館では、定番の展示から地元らしいものまで興味深く見ることができました。昭和のお茶の間の再現に、大正期のKAWAIオルガン、そしてダイハツ・ミゼット。オルガンはリアルで見た記憶があるのですが、ミゼットはあまり記憶が無いなあと、いろんな博物館で見るたびに毎回思っている車のひとつです。

    島田宿と刀匠の碑

    東海道追分の道標から旧東海道に復帰し、島田宿へ。曇りがちの天気のせいか体が重く、このあたりは割と淡々と歩いていました。御陣屋(代官所)跡、本陣跡と巡ります。

    そんな中で目を引いたのが「刀匠 島田顕彰碑」。刀鍛冶集団・島田鍛冶を讃える碑です。東海道を歩いていると、本陣跡や明治天皇がお泊まりになった・ご休憩されたという碑はたくさん見かけるのですが、こうして地元の方々が「ここにはこんな歴史もあったんだ」と印として残している碑もいいですね。とても珍しいと思いました。

    ちなみにこの島田鍛冶の義助は、刀剣乱舞にキャラとして登場する槍・御手杵を作った刀工です。審神者的には見逃せないスポットでした。

    そして御陣屋稲荷では悪口コンテストの大賞作品に遭遇。「空はこんなに青いのに、妻がいる。」……強烈ですw

    越すに越されぬ大井川

    この日はまず大井川手前のホテルにチェックインし、荷物を置いて身軽になってから、いよいよ大井川橋へ向かいました。

    「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」。江戸時代、幕府はこの川に橋を架けることを許さず、旅人は川越人足の肩や蓮台で渡っていました。

    昭和3年に架けられた大井川橋は、橋長1026.4mの鋼製トラス橋。土木学会選奨土木遺産にも認定されています。

    実際に渡ってみると、川幅は果てしなく広い。広大な砂利の河原の中を、細い流れが走っています。橋は架けたいけど敵には攻め込まれたくない、という幕府の気持ちも分からんでもないなと思いながら、黄色い欄干の歩道を延々と歩きました。

    大井川鐵道で思い出に再会

    橋を渡って金谷側へ。大井川鐵道があると相方から聞かされたので、新金谷駅まで見に行くことにしました。

    新金谷駅にはSLの牽く旧型客車がずらり。車両基地では転車台に載るC12 164の姿も。ちょうど電車が車庫の中に入るための動きを見ることができて、気づけば写真よりも動画ばかりが残っていましたw

    「電車好きだった子供が小さい時に連れてきてたら喜んでたろうね」と相方と話しながら車庫をよく見ると、なんと私が子供の頃によく乗っていた電車が再利用されているではありませんか。もう見ることもないと思っていた電車に、まさか大井川で会えるとは。懐かしい思いで眺めていました。

    駅舎には「新金谷驛」の木製看板と、きかんしゃトーマスとヒロのパネル。大井川鐵道といえばトーマス号ですね。

    このあとは金谷駅から、ホテルの最寄駅まで電車で帰りました。流石に橋の往復はキツイです……。

    島田の夜

    夕食は島田駅近くで、入れる居酒屋に入ったという感じ。炙りの刺身に〆鯖、ごぼうチップスのサラダ、鉄板のハンバーグ。満足な味で美味しかったです。ただ、前日の焼津のお魚のボリュームを思い出すとちょっと物足りなく感じてしまい、いやいやこれが普通だよねと自分に言い聞かせましたw

    (写真:島田の夕食)

    この日をふりかえって

    この日の歩数、45,525歩。おそらく歴代最高記録です。お宿では、近所ではあまり見かけないスガキヤのラーメンをお土産に、三日月と太郎太刀と一緒に記念撮影。

    (写真:万歩計45525歩)

    思い出に会えた時間。

    雨が降ったり止んだりで大変でしたが、偶然の藤まつり、地元が大切にする城跡と刀匠の碑、そして子供の頃に乗っていた電車との思わぬ再会。越すに越されぬ大井川を自分の足で越えて、それなりに楽しめた良い一日でした。

  • 約1年ぶりの東海道歩き旅、再開です。

    昨年のゴールデンウィーク、相方の足のトラブルで薩埵峠を目前に由比で断念してから早1年。今回は2019年のゴールデンウィーク、静岡駅からのスタートとなりました。

    由比〜静岡間(薩埵峠区間)をどうするか一応相方に聞いてみたのですが、「静岡から」と言い張るのでそれに従いました。というのも、相方はこの旅の前から「とろろとろろ」と言い続けており、何が何でも丸子宿のとろろ汁の名店に行きたかったようですw 一方の私は、新しい万歩計を買ったり、今で言う「ぬい活」の準備をしたりと、それはそれで楽しみにしていました。

    ちなみに断念した薩埵峠は、後にリベンジすることになります。その話はまたいつか。

    静岡駅からスタート

    静岡駅のホームで、お供の山姥切国広と膝丸、そして新品の万歩計(髭切)と一緒に記念撮影。万歩計はもちろん「0」からのスタートです。

    かつての府中宿は、江戸から数えて19番目の宿場。家康公のお膝元・駿府の城下町として、東海道最大規模を誇った宿場です。街なかには家康公顕彰四百年記念の案内板があちこちにあり、七間町などの旧町名の由来を読みながら歩き始めました。

    朝のおやつは安倍川もち

    弥勒の交差点を過ぎたあたりで、「元祖からみもち」の暖簾を発見。安倍川もちの老舗・石部屋(せきべや)さんです。

    実は開いているとは知らずに通りかかったところ、開いていたので「これは入るしかない」と迷うことなく入店。狙って行くと店は休み、ノーマークだと当たる――旅の法則は今回も健在でしたw

    朝の早い時間ということもあって、店内はゆったり。年季の入った店内には広重の浮世絵や古い写真が飾られていて、江戸の旅人気分が高まります。

    初めて食べる手作りの安倍川もちは、あっさりとした甘み。そしてわさび醤油でいただく「からみもち」の味変のおかげで、美味しくペロリといただけました。

    ……とはいえ内心、移動の新幹線内で朝ご飯の後の安倍川餅「これでとろろ食べられるかな」と胃袋の心配をしていたのはここだけの話ですw

    安倍川を渡って丸子宿へ

    石部屋さんを出てすぐ、安倍川橋を渡ります。緑色の鉄橋の向こうには富士山。江戸時代は橋がなく、川越人足に担がれて渡った安倍川も、今は歩いて数分です。

    東海道の松並木の名残の松を眺めつつ進むと、丸子宿に入ります。江戸から数えて20番目、東海道の中でも小さな宿場だったそうですが、道沿いには屋号の看板を掲げたお宅や、地元中学の美術部お手製の「丸子いいトコMAP」などがあって、気合いの入った通りでした。宿場町を大事にしている感じが伝わってきます。

    道中、標識の上にちょこんととまるツバメを発見。家の周りではすっかり見かけなくなった鳥なので、ついつい写真を撮ってしまいます。旧街道を歩いていると、こういう懐かしい風景に出会えるのも楽しみのひとつです。

    念願のとろろ汁

    そしていよいよ、相方待望の丁子屋さんへ。慶長元年(1596年)創業、芭蕉の句「梅若菜 丸子の宿の とろろ汁」にも詠まれた、丸子宿名物とろろ汁の超有名店です。

    到着した時はまだ開店前。名前を書いて順番待ちという流れでしたが、すでに車で来ているお客さんが結構いて、さすがの有名店ぶりに驚きました。

    時間を潰しつつ順番が来て店内へ入ると、今度は店の広さにびっくり。あの茅葺き屋根の外観からは想像できない奥行きで、壁の上には東海道五十三次の浮世絵が宿場順にずらり。「21丸子」「20府中」と、まさに今歩いてきた宿場の絵も並んでいます。店の前には十返舎一九『東海道中膝栗毛』の碑もあり、東海道づくしの空間です。

    実はこの丁子屋、東京都内に支店にあたるお店があり、一度食べに行ったことがあります。味は遜色なかったのですが、やはり本店は雰囲気もさることながら、店が「東海道!」って感じで、より美味しくいただけました。おひつの麦飯にとろろ汁をかけて、薬味を添えて。とろろを揚げただんごも一緒にいただきました。

    もちろん相方は大満足。この旅最大の目的は、昼過ぎにして無事達成されましたw

    宇津ノ谷峠越え

    お腹を満たして、いよいよ宇津ノ谷峠越えへ……の前に、ひとつ告白を。実はこの道に辿り着く前に迷子になりかけて、もうちょっとで反対方向の山の中に入りそうになりましたw 無事引き返して、国道1号を横切り、トンネル近くで休憩してから峠に向かいました。

    道の駅宇津ノ谷峠に到着した時点で、万歩計は21,092歩。まだまだ歩きます。

    トンネルに入る前の宇津ノ谷の集落は、石畳の道に伝統的な家並みが続いて、とても風情のある通りでした。集落の中には、小田原攻めに向かう秀吉に馬の沓を献上し、羽織を賜ったという言い伝えの残る「お羽織屋」もあります。

    木段の山道を登っていくと、明治トンネルの入口へ。……のですが、このトンネル、なんというか「何か出そう」な雰囲気でして。きっと夜は何か出てくるんじゃないの?!と思いながら、薄暗い電灯を頼りに歩きましたw

    とはいえ、明治時代にこんなトンネルを人の手で作れた技術力には頭が下がります。この宇津ノ谷には、旧東海道の峠道に加えて、明治・大正・昭和・平成と各時代のトンネルが並行して残っています。今に至るまでトンネルや高速道路を作り続けるくらい、この道は長きにわたって必要な道であり続けているんだなと実感しました。

    岡部宿と大旅籠柏屋

    峠を抜けると、「岡部宿」の看板と大きな「茶」の文字がお出迎え。江戸から数えて21番目の宿場、岡部宿に到着です。

    岡部宿では、大旅籠柏屋の歴史資料館を見学しました。国の登録有形文化財にもなっている、江戸時代の旅籠建築です。

    館内には、旅籠の一夜を再現した等身大の人形たちが。玄関で足を洗ってもらう旅人、一の間でお酌を受ける浴衣姿の客――人形たちがいるぶん、空間がリアルに見えました。ああ、この時代の人たちはこんなふうに旅をしていたんだ、と。

    そして建物の中を歩いていて感じたのは、その狭さ。鴨居や天井の低さに、昔の日本人は現代人より小柄な人が多かったのかな

    展示されていた旅道具や旅衣装も印象的でした。矢立、火打道具、小田原提灯……歩いて続ける旅なので、とにかくシンプルで少ない荷物。この装備で何日も歩き続けた江戸の旅人たちは、本当にすごいなと思います。リュックに湿布まで詰め込んでも足が痛くなる私たちとしては、頭が下がるばかりですw

    中庭では鯉のぼりが泳いでいました。ゴールデンウィーク、端午の節句の季節です。

    締めは焼津で

    この日の宿泊は、岡部宿の通り沿いにホテルがなかったため、バスとタクシーで移動して焼津のビジネスホテルへ。宿場町なのに泊まれない――現代の東海道歩きあるあるです。

    焼津といえば漁港の街。お魚が食べられるかとお魚センター界隈へ探しに行ったところ、夜はほとんどのお店が閉まっているという罠w ウロウロした末にたまたま見つけた定食屋さんに入ったら、これが大当たり。お値段以上のものすごくボリューミーな料理ばかりが出てくるという嬉しい展開に驚きました。

    バイ貝の煮付けに、分厚いだし巻き卵(これはお通し)、山盛りのサラダ、お刺身の盛り合わせ、焼き魚の干物。テーブルには旅のお供の三日月と太郎太刀も同席ですw

    来店時には通りがかりの旅のライダーさんや近所のお馴染みさんがやってきたりと、賑やかで温かいお店でした。残念ながら今はもう閉業してしまっているようですが、旅先での一期一会、忘れられない夕食になりました。

    この日をふりかえって

    この日の歩数、38,079歩。1年ぶりの再開初日としては、なかなか歩きました。

    時代の流れが並行して残った道、それが東海道。

    江戸から続く安倍川もちととろろ汁、明治のトンネル、現代の国道1号と高速道路。いくつもの時代の道と味が重なり合うルートを、自分の足で歩いた一日でした。

    そして朝のおやつ、昼、夜と、美味しいご飯に出会えてしあわせでした。

  • まさかの「ご用意」

    刀剣乱舞は大好きな作品です。とある職場で知り合った人にミュージカルへ誘われたのがきっかけで、コロナ禍を経てもずっと舞台を見続けてきました。ただ、年々チケットが取りづらくなり、やがてファンクラブも辞めてしまいました。

    そんな中、SNSで能狂言『刀剣乱舞』の公演を知ります。しかも私の推し、髭切と膝丸の二振りによる作品。この二人のキャラは人気が高く、二人の役柄のみでの公演となればチケットはまず当たりません。期待せずに申し込んだら――まさかの「ご用意できました」の連絡。驚きました。久しぶりに休暇を取って、観に行くことにしました。

    都心の踏切と成田エクスプレス

    会場は千駄ヶ谷の国立能楽堂。初めて行く場所なので少し迷いましたが、代々木駅から地図通りに歩いていくと、都心では珍しい踏切に辿りつきました。

    思わず写真をパチリ。しかも通ったのは上り下り両方とも成田エクスプレスでした😅

    線路を越えて地図アプリ片手にウロウロ、道端の看板を頼りに国立能楽堂に到着です。

    開演前の腹ごしらえ

    グッズを買うなら早めにと前日に行った人のSNS情報を見て早めに到着しました。まずはお目当てのグッズを購入してから、能楽堂の食堂でお昼にします。この時はどのくらいの上演時間か調べておらずお腹をぐーぐー鳴らすのは失礼かと思い食べることにしました。実際は1時間半弱で終演後も食堂は空いていたので終わってからでも大丈夫でした

    エビの冷製ジェノベーゼ。冷たくて美味しかったです。少し塩気が強かったかな。開演時間も迫っていたので、結構慌てて食べることになりました。

    千筋の糸の中で

    開演前は撮影禁止。スマホの電源も落として、いざ観劇です。

    推しの髭切と膝丸の物語を、本物の能舞台で観る。しかも座席は脇正面の一番前でした。遮るものが何もなく、それこそ役者の足元からじっくり見ることができました。

    一番心に残ったのは、やはり蜘蛛の糸が放たれて、その中で髭切と膝丸が戦う場面です。動きが特別激しいわけではありません。でも、鼓や太鼓や笛、掛け声や謡で、ものすごく盛り上がっていくのです。今なら機械で調整するところを、照明以外はほとんど人力で表現していく舞台。ここに原点を見たような気がしました。

    まさかの撮影タイム

    終演後、「ここからは撮っていいですよ」とアナウンスが。慌てて電源を入れて撮影開始です!おそらくカーテンコールと、今後の宣伝も兼ねているのだと思います。追加公演が12月に決まっていますので☺️

    舞台の上には土蜘蛛の千筋の糸がびっしり。

    装束姿の髭切と膝丸が、客席の通路まで来てくれました。会場にいたみなさん、もちろん大喜びです。その間も笛や太鼓や鼓の生演奏で盛り上げてくれて、最後まで能楽の空間のまま推しを撮れるという、なんとも贅沢な時間でした。

    帰り道は完全なるお上りさん

    帰りはコンビニへ寄り道しているうちにどうも道に迷ってしまい、あららどうしましょうと歩いていたら、目の前にハチ公バスがやってきました。とりあえず乗って代々木へ……と思っていたら、参宮橋あたりに来てしまい、焦って降りて前の人について行ったら、結局新宿の初台に辿りついていました。

    ただ、初めて歩く場所だったのと、首都高側の道、気がつくと見上げるような高いビル。長いこと都内に住んでいますが、完全なるお上りさん状態で歩きました。知っているはずの街で迷子になると、急に旅になるものですね。

    終わりに

    推し活超最高!と思った一日でした。そして能狂言、ほかの演目も見てみたくなりました。

    推しは心の栄養です。

  • 前夜の作戦会議

    前日、薩埵峠を目前に相方の足のトラブルで歩き旅を断念。その夜のうちに話し合った結果、「リュックを背負っての歩き旅はさすがに厳しい」という判断で、この日は歩くのをやめて静岡駅周辺の散策に切り替えることにした。

    足の筋肉が痛んでいたようだったが、持ち歩いていた湿布でやり過ごす。歩き旅の常備品、湿布がここで活躍である。

    ホテルの朝食からスタート

    朝はホテルの和定食。ホッケの干物にだし巻き卵、味噌汁。この日はがっつり歩くわけではないけれど、朝ごはんはしっかりと。

    外に出れば、住宅街の向こうに今日も富士山。昨日あれだけ浴びたのに、見えるとやっぱり撮ってしまう。

    静鉄電車に乗って

    移動は静岡鉄道。狐ヶ崎から乗車して静岡の街へ向かう。

    新静岡の駅では「静岡鉄道×ちびまる子ちゃんランド」の顔ハメパネルがお出迎え。まる子の故郷・清水を抱える静岡らしい光景である。

    駿府城公園へ

    この日のメインは駿府城公園。徳川家康が晩年を過ごした駿府城の跡地だ。

    お堀の石垣と巽櫓。街のビル群のすぐ隣に、江戸の風景がどんと残っている。

    公園の中では鷹を手にした家康公の像がお出迎え。

    家康公お手植えのミカン

    そして個人的にこの日いちばんだったのが、家康公お手植えと伝わるミカンの木。将軍職を退いて駿府に隠居した家康公が、紀州から献上された鉢植えのミカンを本丸に移植したものと伝えられている。静岡県指定の天然記念物だ。

    400年以上前の木が、フェンスと立て札でしっかり守られて、今も大事に手入れされている。静岡のミカンの起源を知るうえでも貴重な木なのだそう。この家康愛と手入れの丁寧さには素直にすごいと思った。

    狙っていなかった発掘現場

    本丸跡では天守台の発掘調査の真っ最中だった。ブルーシートに覆われた石垣がどこまでも広がる、なかなか見られない光景である。

    展示コーナーには「さわってOKです」と出土した瓦まで置いてあった。遠慮なく触らせていただく。

    実はこれ、まったく狙って行っていない。東海道の旅では、狙って行くと大概お店は休み、時間が合わない、ということが多かった(前日の由比しかり…)。狙わないと当たる。旅の法則である😅

    公園には葵の御紋の植え込みや、この日開催されていたイベントのふわふわ忍者城なんかもあって、家族連れで賑わっていた。

    展望ロビーから街を見下ろす

    県庁別館の展望ロビーへ。眼下に駿府城公園、その先に静岡の街並み、そして山の向こうに富士山。発掘現場のブルーシートも上から丸見えで、規模の大きさがよくわかった。

    お茶の街の実力

    歩き疲れたところで、静岡茶の喫茶専門店へ。お茶の専門店があること自体が驚きだった。コーヒーではなく、日本茶を急須で一杯ずつ丁寧に淹れて出してくれる。さすがお茶の名産地。安倍川餅と一緒にいただいて、ほっと一息。

    (写真:お茶と安倍川餅)

    静岡駅前も家康づくし

    静岡駅前には幼少期の竹千代くんの像と、壮年の家康公の像。ビルの壁面には「家康公が愛したまち SHIZUOKA」の文字。どこを向いても家康である。人質時代から晩年まで、人生の多くをこの地で過ごした家康公は、静岡の街の顔なのだ。

    締めは静岡おでんデビュー

    夜は駅ビルの中にあったお店で静岡おでん。真っ黒い出汁で煮込まれた串刺しのおでんに、だし粉をたっぷり。もつ煮も一緒に。

    今まで自分が食べてきたおでんとはまったく違うものだったが、これがうまい。黒はんぺんをはじめ、静岡ならではのおでん文化を堪能した。

    この日をふりかえって

    観光地の顔をした静岡に会えた一日でした。

    東海道を歩いていると、街は「通り過ぎていく宿場」として出会うことになる。でもこの日は歩かなかったからこそ、家康の街、お茶の街、おでんの街としての静岡とゆっくり向き合えた。

    薩埵峠の厳しさをまだ知らないまま過ごした、楽しい観光の一日。計画通りではないけれど、こんな旅もあり。ちょっとしたご褒美気分の休日だった。