東海道歩き、第三歩。前回は保土ヶ谷宿から藤沢宿まで歩きましたので、今回はその続き、藤沢宿を出発して、いよいよ大磯宿を目指します。
時はゴールデンウィーク。新緑がまぶしく、歩くにはもってこいの季節です。前回ゴールした藤沢に、ふたたび戻ってくるところから一日が始まりました。わくわくした気持ちはあの日の続きのまま、「さあ、今日も頑張って歩くぞ」と、軽やかに一歩目を踏み出します。

今日のスタートは藤沢宿。広重の絵に見送られて、いざ出発。
藤沢宿のあたりには、江の島弁財天への道標や、遊行寺橋、蒔田本陣跡、問屋場跡など、宿場の名残がぽつりぽつりと残っています。問屋場跡にいたっては、今は消防出張所。かつて人馬の継ぎ立てでにぎわった場所に消防車が並んでいるのを見ると、時の流れというのはおもしろいものだなあと、しみじみしてしまいます。
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茅ヶ崎、海へ
藤沢から街道をどんどん西へ。茅ヶ崎に入ると、メルシャンのワイン工場や、本村のタブノキの巨木など、思いがけない見どころが次々あらわれます。
そして茅ヶ崎駅を過ぎ、雄三通り(あの加山雄三さんにちなんだ名前だそうです)を抜けて海のほうへ向かうと――ぱあっと視界がひらけて、相模湾です。砂浜の向こうには、江の島の姿も。日差しはもうすっかり初夏で、「いやー、暑いなあ」とこぼしながらも、街道歩きで海に出る瞬間は、やっぱり格別ですね。

海に出た! 砂浜の向こうに江の島。
さて、お目当てはこちら。テレビや雑誌では何度も見たことのある、あの「茅ヶ崎サザンC」のモニュメントです。実物を前にすると、ミーハーな私はちょっとそわそわ。「これこれ、これが見たかったの!」と、しっかり記念に一枚おさめてきました。

本物の「茅ヶ崎サザンC」! テレビで見たやつだ、と若干興奮。
お昼は、やっぱり肉
たっぷり歩いてお腹もぺこぺこ。お昼に選んだのは、しゃぶしゃぶの食べ放題のお店でした。
我が家の昼ごはん選びは、もっぱら相方の担当。そして我が家の街道歩きは、力をつけるならやっぱりお肉、というのが揺るがぬ方針です。本音を言えば、どーんと塊肉にかぶりつきたいところなのですが、そこはお財布と相談。それでも「肉を食べないと、午後の足が動かない」というのが歩き旅の実感でして、霜降りのお肉を何種類ものつけだれでいただいて、しっかり燃料を補給しました。
前回はハンバーグ、前々回はローストビーフ丼……と、振り返ればなかなかの肉率。我ながら、よく食べ、よく歩くものです。

本日の燃料補給。やっぱり、肉。食べ放題でしっかりと。
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相模川を渡る前に── 鎌倉時代の橋が、地面から
お腹を満たして、午後の道へ。茅ヶ崎から平塚へ向かうには、大きな相模川(馬入川)を渡ります。今回いちばん心に残った場所があります。**旧相模川橋脚**です。
第一印象は、正直に言って「……なんだ、これ?」。なんでもないような池に、木の杭のようなものがぽつぽつと頭を出しているだけ。ところが、かたわらの看板を読んで、びっくり仰天しました。
この橋脚、なんと鎌倉時代のもの。源頼朝の家臣・稲毛重成が、亡き妻の供養のために相模川に架けた橋の脚だというのです。八百年も昔の橋が、よくぞ大正の世まで埋もれて残っていたものだなあと、それだけでも驚きでした。
ではなぜ、それが今ここで見られるのか。きっかけは、大正十二年の関東大震災。地震による液状化現象で、地中に眠っていた橋脚が、にゅっと地表に姿をあらわしたのだそうです。
ちなみに、いま池に頭を出して見えているのは、実は模型(レプリカ)。本物の橋脚は、傷まないよう、この模型の真下にていねいに保存されているのだそうです。なるほど、見せながら守る、という工夫なのですね。

池に頭を出すのは模型。本物はこの真下に眠っています。「なんだこれ?」が、看板を読んで一変。

八百年の歴史をぎゅっと伝える解説板。
そして何より胸を打たれたのは、これを見つけた当時の人々が、ただ埋め戻してしまわずに、きちんと史跡として残してくれたこと。しかも本物は土の中で守りながら、上には模型を置いて、訪れた人にその姿を伝えてくれている。「これは大切なものだ」と気づいて守りぬいた、その見識のすごさ。八百年前の供養の橋を、今こうして自分の足で見に来られることに、ただただ感謝です。残してくれて、ありがとうございます。

現在の橋。電車も車も人もしっかり支えて歩くことができます。
平塚宿を抜けて
橋脚に感動したあとは、平塚宿の中へ。ここは東海道五十三次の宿場のひとつで、本陣跡、脇本陣跡、高札場跡、問屋場跡……と、宿場を構成する史跡がきれいに残されていました。
標柱や案内板を一つひとつ追いかけていくと、かつてここに大名行列が泊まり、人馬が行き交っていた様子が、なんとなく頭に浮かんできます。今はすっかり普通の街並みですが、足元にはちゃんと歴史が積み重なっているのですね。
とはいえ、このあたりはもう、おしゃべりもめっきり減って、ただ黙々と歩く時間。移りゆく景色をぼんやり眺めながら、一歩一歩を重ねていきます。歩き旅というのは、こういう淡々とした時間こそが、案外いちばん長いのかもしれません。

平塚宿本陣旧跡。今は街角に静かに立つ標柱。
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あの珍しい形の山、大磯へ
平塚を過ぎると、行く手に、こんもりとした美しい山が見えてきます。お椀をふせたような、なだらかで品のある姿。「なんだか珍しい形の山だなあ」と、歩きながら眺めていました。
……と、当時はのんきに見ていたのですが、実はこれ、**高麗山(こまやま)**という、れっきとした名所。広重の浮世絵にも描かれた、この街道きっての名物の眺めなのだそうです。知らずに「珍しい形だな」などと眺めていたとは、我ながらお恥ずかしい。でもまあ、名前を知らなくても「いい山だな」と感じる目はあったということで、よしとしましょう(笑)
道沿いには高来神社(たかくじんじゃ)の鳥居も立っていて、いよいよ大磯町に入ってきたんだなと実感します。「大磯町」の道路標識を見たときは、ゴールが近づいてきた嬉しさで、疲れた足にもまた力が入りました。

高来神社の鳥居の向こうに、高麗山。あとから名所と知りました。
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大磯 ── 聖ステパノ教会と、澤田美喜さん
大磯駅にたどり着いたあと、心に残る場所に立ち寄りました。**エリザベス・サンダース・ホーム**ゆかりの一帯です。
ここは、地図を見ながら歩いていた相方が「この道沿いにあるよ」と教えてくれて、寄り道することにした場所。澤田美喜(さわだ みき)さんのことは、以前テレビで見て知っていました。戦後、行き場のなかった子どもたちを引き取り、育て上げた方です。その功績は、本当にすごいの一言に尽きます。
ふと、ずっと前に見たテレビ番組のことを思い出しました。澤田さんの遺影を前に、「お母さん」と慕いながら、涙を流してインタビューに答えていた、当時育てられた男性の姿。あの涙が、彼女がどれほど深い愛情を注いだ人だったかを、何より物語っていたように思います。その場所に、こうして自分の足で立っていることが、なんだか不思議で、ありがたく感じられました。
敷地のそばには、三角屋根のすっと高い**聖ステパノ教会**。緑と花に囲まれて、静かで凛とした佇まいでした。

すっと天をさす、三角屋根の聖ステパノ教会。
教会のまわりには、石を積んだ階段に立てられた、26本の十字架もありました。これは1597年に長崎で殉教した26聖人を表しているのだそうです。隠れキリシタンの歴史にも通じる、祈りの場でした。

石段に立つ、26本の十字架。
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夕暮れの松並木、そしてゴール
大磯宿には、ほかにも見どころがたくさん。同志社を創った教育者・新島襄が、この地の旅館で生涯を閉じたという「新島襄終焉の地」の碑や、「湘南発祥之地 大磯」の堂々たる石碑など、立ち止まるたびに新しい発見がありました。
それから、夕暮れの松並木。傾いた日の光が、松の木立の間からやわらかく差し込んで、なんとも言えず美しい道でした。一日歩きとおした体に、この夕方の光景はごほうびのよう。前を行く相方の後ろ姿も、どこか満ち足りて見えます。

夕暮れの松並木を歩く
さて、このあたりでいよいよ足が限界。「もう無理……」というところで、とりあえず飛び込んだのが、道沿いのラーメン屋さんでした。半熟卵にメンマ、海苔ののった一杯と、こんがり焼けた餃子。歩き疲れた体に、このしょっぱくて温かい一杯がしみわたります。「今日もよく歩いたね」と、餃子をつまみながらの、ささやかな打ち上げでした。

この日の宿は、大磯プリンスホテル。道中には井上蒲鉾店というかまぼこ屋さんがあり、無添加のちょっとお高いかまぼこを買って、宿でいただきました。食べてみると、なかなかの塩気。「無添加って、こういうものなのかなあ」なんて思いつつ、ビールのおともにぺろり。歩いたあとは、なんでもおいしく感じてしまうから不思議です。
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おわりに
藤沢宿を出発し、茅ヶ崎の海で潮風を浴び、相模川を渡り、鎌倉時代の橋脚に驚き、平塚宿を抜けて、高麗山を望みながら大磯へ。澤田美喜さんの足跡に触れ、夕暮れの松並木を歩いて、一日が暮れていきました。
見どころの多い、盛りだくさんの一日。歩けば歩くほど、この街道に積み重なった時間の厚みを感じます。
次は大磯宿から、箱根の峠を目指して。
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