• 吉原の朝

    この日の朝は、前日からお世話になった吉原の旅館の朝食からスタート。

    しらすの小鉢に干物、卵焼き、野菜の小鉢。どれも素材が新鮮で、歩き始める前の腹ごしらえにぴったりの和定食だった。ごちそうさまでした。

    外に出ると、雲ひとつない快晴。駐車場の向こうに、雪をかぶった富士山がぬっと立っている。今日は一日、この山と一緒に歩く。

    富士山愛にあふれた街

    吉原といえば「左富士」。東海道を京へ向かって歩くと富士山はずっと右手に見えるのだが、ここ吉原ではルートの関係で左手に見える。それが珍しくて名所になり、広重の浮世絵にも描かれた。その碑をしっかり見学。

    そして歩けば歩くほど、この街の「富士山愛」に驚かされる。

    – 道が富士山に向かってまっすぐ伸びるように作られている

    – とある企業のそばのベンチが、バスの来る道路側ではなく富士山の見える方を向いて設置されている

    – 景色を邪魔しないような建物の作り

    – 富士川橋の欄干には、富士川と富士山のベストショットの位置がしっかり明記されている

    工場と煙突の間からも、住宅の隙間からも、とにかくどこからでも富士山が顔を出す。生活の中に当たり前に富士山がある街だった。

    富士川橋からのベストショット

    富士川橋を渡る。昭和初期竣工の趣ある鉄橋で、歩道から眺める富士川と富士山の組み合わせがとにかく素晴らしい。

    堰を越える水の白いしぶき、ゆったりした川の流れ、その向こうに残雪の富士。この日いちばんの景色はここだったと思う。歩いてきた人だけが正面から受け取れるご褒美みたいな眺めだった。

    のどかな山道と、巨大インフラと

    富士川を渡ると道は山へ。ここからはアップダウンの続く、のどかな山の中の道になる。

    途中、金網越しに東名高速を見下ろすポイントがあった。江戸の道の眼下を現代の道が走る、旧街道歩きならではの立体交差。

    かと思えば、山の斜面を何本も駆け下りる発電用の巨大な水圧鉄管が現れたり。菖蒲が咲いて鯉のぼりが泳ぐのどかな景色と、巨大インフラが交互に出てくるのがこの区間の面白いところ。

    そしてこの日どうしても寄りたかったのが、栗饅頭のお店。昔、東海道沿いで作って売られていた饅頭を再現したものだそうで、購入して休憩がてらベンチでいただいた。

    今の栗菓子のようなしつこさがない、とてもやさしい味。歩き疲れた体に染みた。

    お昼は道路沿いにあった町中華のようなお店で青椒肉絲定食。こういう店がまたうまいんだな。

    いなば食品、ここにあったのか

    由比に近づいてきたところで、街道沿いに「いなば食品 静岡工場」の看板を発見。スーパーでよく見かけるあのツナ缶の工場はここだったのか! と妙な親近感。由比・蒲原はもともと海の幸の加工が盛んな土地だから、納得の立地ではある。

    由比漁港には漁船がずらり。桜えびの本場である。……が、タイミングが悪く、由比では何一つ買うことができなかったw 直売所の看板が切ない。次に来るときは必ず。

    そして、薩埵峠を目前に

    由比から薩埵峠へ向かう途中、相方の足の調子が悪くなってきた。長時間歩いたことによる靴擦れも起きていて、歩くのがつらそうだった。

    実はこの靴擦れ、私たちの歩き旅ではほぼ毎回ふたりとも悩まされてきた宿敵である。

    薩埵峠といえば広重も描いた東海道随一の絶景ポイント。ここまで来て断念するのは悔しい。でも、相方の「だめだ」の一言で、じゃあ電車、と即決。こういう時は無理しないのが一番。旅は続けてこそ、である。

    由比駅から電車に乗り、その日宿泊予定だったホテルへ移動した。

    締めはマグロ丼

    ホテルに着いてから、ふらりと入ったお店でマグロ丼。断念の悔しさも、うまい鮪と味噌汁でだいぶ癒された。

    この日をふりかえって

    **大きい富士山に圧倒された一日でした。**

    朝から晩まで、どこを歩いても富士山。街のつくりまで富士山を向いている。薩埵峠には届かなかったけれど、もう十分すぎるほど富士山を浴びた一日だった。

    ちなみに――薩埵峠はこの8年後、2026年に箱根峠とともにリベンジすることになる。それはそれでいろいろありましてw その話はまたいつか。

  • こんにちは、きりこです。

    東海道てくてく旅、今回からいよいよ箱根の西側へ。GWのお休みを利用して、2泊3日で歩いてきました。まずは初日、三島から吉原までの記録です。

    ……え、箱根峠は?と思ったそこのあなた。鋭い。

    実は今回、峠越えはしておりません。相方いわく「去年関所行ったからいいでしょ」。……そういうことになりました(笑)。峠はいずれ、しかるべき覚悟とともに。というわけで、今回は三島からの再スタートです。

    始発の新幹線で、三島へ

    この日は始発の新幹線に乗って、8時前には三島に到着。ホームに降り立つと、駅名標の向こうにさっそく富士山がお出迎えです。

    三島駅ホームから、いきなり富士山。幸先のいいスタートです

    朝はまだ空気がさわやかで、歩き出すには最高のコンディション。快適なスタートを切ることができました。

    街のあちこちから顔を出す富士山。この日は一日中ずっと一緒でした

    水の街・三島

    歩き始めてすぐに出会ったのが「愛染院跡の溶岩塚」。約1万年前に富士山から40kmも流れてきた溶岩が、ここで小高い丘になったのだそうです。富士山、スケールが違います。

    愛染院跡の溶岩塚。富士山の溶岩がここまで流れてきたそうです

    三島といえば、富士山の雪解け水が湧き出る水の街。街道沿いの水汲み場では、人形が「ぎっこんばっこん」とポンプを漕いで水を汲み上げていました。

    人が前に立つと自動で動き出す、働き者のおふたり

    この水汲み場、人が前に立つとセンサーで自動的に水が流れ出す仕組みで、思わずびっくり。人形たちの愛らしい動きにすっかり見とれてしまい……肝心のお水を飲むのをすっかり忘れました(笑)。「どうぞ召し上がれ」と書いてあったのに。三島の水、また今度。

    【写真】

    「富士の雪解け水が源水の三島の水 どうぞ召し上がれ」。飲み忘れた人がここにいます

    街のあちこちを澄んだ水が流れていて、川沿いの道はとても気持ちのいい雰囲気。水の音を聞きながら歩ける街って、いいですね。

    水路沿いの遊歩道。お花も手入れされていて素敵な街並みでした

    三嶋大社にご挨拶

    そして三島宿といえば、三嶋大社。伊豆国一の宮です。

    三嶋大社に到着。堂々たる社号標です

    立派な総門。大しめ縄に圧倒されます

    境内に入ると、想像していたよりずっと大きな神社で驚きました。朝早いおかげで人も少なく、ゆったりと歩きながら厳かな雰囲気を味わえました。

    朝の参道をてくてく。人が少なくて贅沢な時間でした

    本当は全体をじっくり回ってみたかったのですが、この日の道のりは長いので、さっとお参りして先へ進むことに。境内には天然記念物の金木犀(樹齢1200年!)もありました。花の咲く時期に、ぜひ再訪したいものです。

    天然記念物の金木犀。秋にまた会いに来たいです

    黄瀬川を渡って、沼津へ

    三島の街を抜けて、沼津方面へ。この道中、ずっとテンションが高かった理由がこちらです。

    人生でいちばん大きな富士山。しばらく立ち尽くしました

    歩く道沿いに、人生で今まで見たことのない大きさの富士山が見え隠れするのです。関東側から眺めてきた富士山とはまるで迫力が違って、視界にどーんと現れるたびに足が止まる、止まる。なかなか先に進めません(笑)。

    黄瀬川橋を渡ります。ここを越えると沼津です

    黄瀬川を渡って沼津の街へ。狩野川の河川敷では、こどもの日を前に鯉のぼりがずらりと並んで泳いでいました。GWらしい光景に心が和みます。

    狩野川の鯉のぼり。GWですねえ

    沼津宿では「川廓(かわぐるわ)」という地名の由来を記した案内板を発見。狩野川に面した沼津城の城郭に由来する町名なのだそうです。こういう案内板を見つけて立ち止まるのも、街道歩きの楽しみのひとつ。

    川廓の由来。かつてこのあたりは沼津城のすぐ外側でした

    沼津港で、お昼ごはん

    東海道からは少し寄り道になりますが、この日のお昼は沼津港へ。実は相方、朝からずっと漁港が目当てだったようで、心なしか歩くペースが上がっておりました(笑)。

    沼津港に到着。魚市場が並ぶ活気ある港です

    港は観光客でおおいに賑わっていました。飲食店が軒を連ねる「港八十三番地」で、干物の定食をいただきます。

    干物定食。ふっくら香ばしくて、歩いた身体に沁みました

    さすが漁港、お魚がおいしい!朝から歩いてきた身体に、ごはんとお味噌汁が沁みわたります。

    お土産屋さんの店先では、かわいらしいアニメキャラクターの飾りをたくさん見かけました。あとで調べたら「ラブライブ!サンシャイン!!」という作品で、沼津が聖地なのだそうです。よくわからないまま写真を撮っていた私……ファンの皆さま、にわかでごめんなさい。

    お土産屋さんの店先にて。沼津はアニメの聖地なのだそうです

    千本松原と、駿河湾

    沼津港からは、千本松原へ。若山牧水記念館の前を通りかかりました。牧水は千本松原をこよなく愛し、晩年を沼津で過ごした歌人です。先を急ぐ旅ゆえ中には入りませんでしたが、松原とセットで記念にぱちり。

    若山牧水記念館。千本松原を愛した歌人です

    千本松原の中の道。木漏れ日が気持ちいい

    松林を抜けると、目の前に駿河湾が広がりました。このあたりに来てさすがに暑くなってきましたが、海の景色が素敵で疲れも半減。何より驚いたのは、人の少なさ。広い海岸沿いの道を、相方とたらたらおしゃべりしながら、のんびり歩きました。

    海沿いの道を、富士山に向かって歩きます。贅沢な散歩道です

    浜辺には、石を並べて描いた富士山のアートも。「FUJI」の文字入りです。富士山のある県の誇り、でしょうか。スケールの大きな作品でした。

    浜辺の石アート。誰が作ったのでしょう、お見事です

    相方、まさかのカフェを提案する

    千本松原を過ぎた道沿いで、この旅いちばん(?)の事件が起きました。なんと相方が「あの店に入ろう」とカフェを提案してきたのです。

    普段、自分からそういうお店に入ろうとは決して言わない人なので、内心むちゃくちゃ驚きました。歩き旅、人を変えるのかもしれません。

    いちごのタルトとアイスティー。疲れた身体に甘さが沁みる〜

    いちごのタルト、おいしかったです。相方さん、たまにはこういうのもいいですね。

    吉原へ、ゴール

    甘いもので元気を取り戻し、東田子の浦を過ぎてさらに西へ。道中では懐かしのレトロ自販機にも遭遇しました。ニチレイの「24hr HOT MENU」、まだ現役で稼働している姿に感動。さすがに買いませんでしたが(笑)。

    レトロなホットメニュー自販機。たこ焼きもハンバーガーも370円

    夕方が近づいても、富士山はずっとそこに

    そして夕方、初日のゴール・吉原駅に到着。この日歩いた距離は約20kmでした。

    この日は吉原駅前の民宿に宿泊。夕食には駿河湾のお刺身がずらり、桜えびも!

    夕食のお刺身盛り合わせ。桜えびが嬉しい駿河湾づくしです

    甘味もお料理も宿を経営する息子さんの手作りだそうで、こちらも絶品でした。おいしいごはんとお風呂で、初日の疲れをしっかり回復です。

    手作りの甘味。抹茶ときなこの優しい味でした

    富士山に心奪われた一日……いや、序章

    というわけで、第五歩の初日は三島から吉原まで、富士山に心奪われっぱなしの一日でした。

    いや——この日はまだ、序章だったのです。翌日、富士山はさらにその真の姿を見せてくれることになるのですが、それはまた次回のお話。

    きょうも、てくてく。

  • 今回はつい最近いった母との温泉旅の記録です。

    母は現在、施設で暮らしています。入浴は大勢の入居者さんたちを相手にするから仕方のないことなのですが、湯船にゆっくり浸かる機会はほとんどありません。元気な頃は近所の温泉にほぼ毎日のように通っていた母。「たまには、温泉に入れてあげたい」——そんな思いから、昨年から年に2回、バリアフリーで大浴場のあるホテルを探して連れて行くようになりました。

    行き先選びの基準は、施設から行きやすいこと(本庄早稲田駅が起点です)、そしてバリアフリーの施設があること。AIに相談しながらあれこれ検討した結果、今回は越後湯沢温泉に決めました。決め手は「駅からホテルが近い」こと。そして駅ナカが充実しているとは。行ってから知ったのですが、これが大正解でした。

    新幹線での移動 〜意外な難関は「あの隙間」〜

    本庄早稲田から上越新幹線で越後湯沢へ。母は歩行器を使っているので、移動にはいくつか工夫が要ります。

    座席は出入り口に近い席を予約しました。ただ、歩行器が思いのほか大きく、畳んだり、足元のおぼつかない母を席まで誘導したりは、なかなか大変でした。

    そして意外な難関が、ホームと電車の隙間。健常者なら何ということもないあの数センチが、母にはかなりのハードルで、抱きかかえて乗り降りする場面もありました。同じ状況の方は、心づもりをしておくといいかもしれません。駅のエレベーターは案内がしっかりしていたので、迷うことはありませんでした。

    1日目:へぎそばと麹ソフトと、日本酒の「偵察」

    越後湯沢駅に着いたら、まずはお昼。温泉街の老舗「中野屋」さんでへぎそばをいただきました。人気店だけあって、待つこと1時間。それでも母は喜んで食べてくれたので、待った甲斐がありました。布海苔をつなぎに使ったへぎそばは、つるりとしたのどごしで、天ぷらもさくさく。

    食後のデザートは、駅ナカ「CoCoLo湯沢」のぽんしゅ館にある「糀らって」へ。私はコーヒーゼリーソフト、母は白玉ぜんざい麹ソフトを注文しました。麹のほのかな風味と優しい甘さに、母も「美味しい」とにこにこ。甘いものは、いくつになっても別腹のようです。

    ぽんしゅ館では、相方に頼まれた日本酒購入の「偵察」も抜かりなく実施。新潟全酒蔵の利き酒ができる「利き酒番所」もあり、酒好きにはたまらない空間です(偵察の成果は翌日に持ち越し)。

    その後は「雪国館」(湯沢町歴史民俗資料館)へ。事前には「バリアフリーではない」と聞いていたのですが、行ってみるとエレベーターがあり、広くはないものの、ゆったり見ることができました。94歳の職人・小林守雄さんのワラ細工作品展、湯沢町で出土した27万枚もの古銭、映画『雪国』の資料、囲炉裏のある雪国の民家の再現……駒子さんの部屋もあって、入館料以上の満足感でした。

    高所恐怖症の母、ロープウェイに乗る

    続いて、湯沢高原ロープウェイへ。166人乗りの大型ゴンドラは、人が少なかったこともあり、歩行器のまま乗ることができました。

    ただ、母は高所恐怖症。景色は眺めているものの、終始無口です(笑)。でもそんなとこぐらいしか連れていくところがなくて・・・以前伊香保で乗ったロープウェイよりは揺れが少なく、「まだマシ」だったようですが。あいにくの曇り空で眺望は今ひとつでしたが、高原から見下ろす湯沢の町並みやスキー場の風景はなかなかのものでした。高原では、駅ナカで買っておいた名物の笹だんごをおやつに。

    ここでひとつ反省点を。チェックインまでの時間潰しも兼ねて色々回ったのですが、大して歩けない母を連れ回しすぎて、少々お疲れ気味にさせてしまいました。私にとっては「どうという距離」でも、母には大変だったようです。元気な頃は歩くのが大好きだった母だけに、この匙加減はなかなか難しいところです。現地到着はもう少し遅めでもよかったな、というのが正直なところ。

    湯沢グランドホテル 〜坂は急だが、部屋は快適〜

    宿泊は湯沢グランドホテル。駅から近いのが決め手でしたが、ひとつ誤算が。道路から入り口までの道のりが、なかなかの急坂だったのです。歩行器の母にはここが一番の難所だったかもしれません。おそらくホテルに言えば車での送迎は可能だと思うので、次回は迷わずお願いしようと思います。

    お部屋は段差のないフラットな造りで、ベッドも低め。特にありがたかったのがトイレで、近づくと電気が自動でつき、蓋の開閉も流すのも全自動。母のような高齢者には、この「自動」が本当に助かります。

    さて、この旅の最大の目的、温泉です。大浴場には手すりがあり、浴槽内にも段差(ステップ)があったので何とかなりましたが、足が弱った母には湯船に入るのもひと苦労。それでも湯に浸かった母は「気持ちいい」と喜んでくれて——この一言のために来たのですから、もうそれだけで大満足です。とはいえ次回は、家族風呂(貸切風呂)の予約も検討しようと思いました。

    夕食は予算の関係でバイキングを選択。ホテル側が料理を取りに行きやすい席を用意してくれていて、さらにトレイを乗せて運ぶカートがあったので、母はそれを歩行器代わりにして料理を選ぶことができました。本音を言えば上げ膳据え膳が理想ですが、これはこれで良い工夫。にぎり寿司や冷やしおでんが食べやすかったようでお気に入り。ポテトや野菜の串揚げなど「滅多に食べられないから」と揚げ物も楽しみ、スイカやメロンなど季節の果物まで、母の好きなものを中心にしっかり堪能しました。

    2日目:爆弾おにぎりと文学碑散歩

    2日目はチェックアウト後、駅ナカに荷物を預けてお土産探し。ぽんしゅ館ではばら売りのお菓子(雪国ブラウニーなど)をあれこれ買い込み、母にはその場で温泉饅頭とカステラを。前日の「偵察」の成果で、相方への日本酒も無事確保しました。

    そして名物「爆弾おにぎり」。魚沼産コシヒカリを羽釜で炊いて、その場で握ってくれるおにぎりです。母と半分こにして食べました。具は母のリクエストで梅。お米が美味しくて、とても優しい味でした。この旅、食べてばかりだったので、これが実質のお昼ご飯です(笑)。

    腹ごなしに、川端康成『雪国』の文学碑まで散歩。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」——あの有名な一節が刻まれた石碑が、山々を背に立っています。道中、温泉通り沿いの軒下にはツバメの巣がいくつも。「街中では見なくなったから珍しいね」と母と話しました。こういう何気ない会話が、あとになって一番心に残るものです。

    最後は駅ナカのand tap CAFEでひと休み。私は日本酒レモンサワー(酒どころ湯沢に敬意を表して)、母は紅茶で、旅を締めくくりました。

    おわりに 〜温泉に入れたら満点!〜

    今回の旅の教訓をまとめると、こんなところでしょうか。

    現地到着は焦らず遅めに。ホテルへの急坂は送迎をお願いする。次は家族風呂の予約も検討。そして何より——連れ回しすぎない。

    同じように「高齢の親と温泉に行きたい」と考えている方に、ひとつだけお伝えするなら。**無理はせず、「温泉に入れたら満点!」ということにした方がいいと思います。** アクティビティは本人の興味の範囲内で、ほどほどに。

    母が一番嬉しそうだったのは、甘いものを食べているときと、温泉に浸かっているとき。結局のところ、旅の目的はそれで十分なのだと思います。でもね。連れて行ってるわたしも楽しみたい。そのぎりぎりをどう探ろうか(笑)

    次はどこの温泉に連れて行こうかな。

  • こんにちは、きりこです。

    小田原宿にゴールした東海道てくてく旅・最終日の午後。今回は歩きをお休みして、電車とバスで箱根関所を「偵察」してきた記録です。なにしろ峠越えは来年の予定。その前に、ゴール地点をひと目見ておこうというわけです。

    箱根湯本駅、人・人・人

    小田原からは箱根登山鉄道で箱根湯本へ。

    ホームに降り立った瞬間、相方が驚いてしまいました。あまりの人混みに。

    箱根湯本駅のホーム。登山電車を待つ人の列がすごいことに

    それもそのはず、ここまでの3日間は「歩いている人なんてほとんどいない」のんびりした街道をてくてく歩いてきたのです。そのギャップに「人多すぎ」とぶつくさ言う相方。わたしは内心「GWだからこんなもんでしょ」と思っていましたが(笑)。

    バスで芦ノ湖へ

    箱根湯本から関所までは、電車も考えましたがバスの方が良さそうと判断。道は多少混んでいたもののノロノロ運転はほとんどなく、比較的スムーズでした。幸い座ることもできました。

    バスの車内。運賃表に「曽我兄弟の墓」の文字。箱根は歴史の宝庫です

    車窓には眩しいほどの新緑。その険しい坂道を、自転車で必死に漕いで登っていく男性の姿が見えました。すごい。わたしたちは来年、あれを歩いて登るのか……いや、この時は深く考えないことにしました。

    芦ノ湖に到着

    バスを降りると、目の前に芦ノ湖!

    芦ノ湖に到着。空も湖も青い!

    湖には海賊船(遊覧船)にスワンボート。観光地・箱根の風景が広がります。

    湖畔に停泊中の海賊船。スワンボートって遠くから見るとほんとに白鳥に見える・・。

    箱根関所を見学

    そしていよいよ箱根関所へ。京口御門から入ります。

    箱根関所・京口御門。黒塗りの門構えに背筋が伸びます

    箱根関所は元和5年(1619)に江戸幕府が設置した、全国屈指の重要関所。「入り鉄砲に出女」といいますが、ここ箱根では特に江戸方面からの「出女」への取り調べが厳しかったのだそうです。明治2年に廃止されたあと、発掘調査と古文書の発見を経て、平成19年(2007)に往時の姿に復元されました。

    実はわたし、綺麗になる前の関所を知らないのですが——当時の状況の再現ぶりは圧巻でした。大番所の中では、人形の役人たちが取り調べの真っ最中。

    大番所の役人たち。通行手形を検分中。緊張感が伝わってきます

    伴頭(ばんがしら)さん。背後の鉄砲がものものしいです

    厩(うまや)には白いお馬さん、休息所ではお茶を飲む足軽さんたちと、働く人々の暮らしぶりまで丸ごと再現されています。

    関所の厩。5頭つなげるのに実際は2頭しかいなかったそうです

    休息所でくつろぐ足軽さんたち。人形なのに会話が聞こえてきそう

    関所破りなどの罪人を留め置いた獄屋(ごくや)も。とても頑丈な造りです。

    獄屋。関所破りは重罪でした。中を覗くとひんやりします

    正直に白状すると、感慨に浸るというよりも「わあ、すご!」という感じ。アミューズメントパークのような楽しさで、江戸時代の関所を体感できました。感動の種類はどうあれ、楽しかったもの勝ちです。

    遠見番所からの絶景

    関所の裏手、山の中腹には遠見番所があります。芦ノ湖と街道を見張るための施設で、けっこう急な石段を登るのですが——

    遠見番所から。関所の建物群と芦ノ湖、遊覧船まで一望!

    この眺めです!関所の屋根の連なりの向こうに、きらきら光る芦ノ湖と行き交う遊覧船。

    前日はけっこう足が痛くて大変だったのですが、この日はリュックをコインロッカーに預けて身軽そのもの。とにかく天気が良くて景色が最高で、荷物を背負って歩くのとは大違い。観光モードを満喫しました。

    上から見下ろす箱根関所。山と湖に挟まれた要衝ぶりがよくわかります

    上から見下ろすと、山と湖に挟まれたわずかな平地に関所が構えられているのがよくわかります。ここを避けて通るのはたしかに無理そう。昔の人がここで緊張した気持ち、少しだけわかる気がしました。

    湖畔でのんびり

    関所を出たあとは、杉木立の湖畔の道をのんびり散策。

    芦ノ湖畔を散策する相方。パンフレット片手にぷらぷらと

    何を話していたかはすっかり忘れてしまいましたが、湖を眺めながらぼんやり過ごす時間は最高でした。3日間歩いた身体へのごほうびです。

    キャプション案:芦ノ湖と箱根の山々。この景色を見られただけでも来た甲斐がありました

    帰りはもちろんバスで箱根湯本へ戻り、電車で帰路につきました。帰りの電車でも「人が多い、多い」とぶつくさ言う相方。ある意味最初から最後までブレません(笑)。

    初めての2泊3日旅を終えて

    こうして、初めての2泊3日の東海道旅が終わりました。

    歩き終えて思ったのは、「案外歩けるもんだな」ということ。そして何より、歩いたからこそ出会える景色がたくさんあったということです。特に鎌倉時代の橋桁に出会えたときは、ガチで感動しました。あれ、車で通っていたらたぶん気がつかなかったと思うのです。

    次はいよいよ箱根の峠越え……のはずですが、この時のわたしたちは峠のことなどあまり考えていませんでした。とにかく達成感が先!難しいことは来年のわたしたちに任せることにします。

    きょうも、てくてく。

  • こんにちは、きりこです。

    東海道てくてく旅、初めての2泊3日の旅もいよいよ最終日。今回は大磯から小田原宿までの記録です。

    大磯プリンスホテルの駐車場から、富士山どーん

    この日のスタートは、前泊した大磯プリンスホテルから。

    朝、駐車場に出てみると——富士山がはっきり!

    ホテルの駐車場から富士山がくっきり。幸先のいいスタートです

    「今日の旅はいいお天気で行けそう」と、朝からわくわくが止まりません。3日目なのでさすがに足には疲れが溜まっていましたが、最終日という気合と、歩くほどに富士山が少しずつ大きく見えてくるという楽しみがありました。

    相方とは「小田原、意外と早く着くかもね」なんて話をしながら、旧東海道へ戻ります。

    二宮町へ

    大磯の宿場を抜けて、国道1号をてくてく。おそば屋さんの前を通りかかったあたりで「二宮町」の標識が見えてきました。

    「二宮町」の標識。大磯のおそば屋さん、朝から気になる看板です

    いいお天気。遠くにうっすら山影も見えます

    二宮では、街道歩きではおなじみの一里塚に遭遇。「東海道一里塚の跡 江戸より十八里」の碑です。一里塚や本陣跡は東海道を歩いているとたびたび出てくるので、できる限り写真に撮るようにしています。こうして見ると、日本橋から約72km歩いてきたんだなあと。

    東海道一里塚の跡。江戸より十八里、約72km地点です

    すぐ近くには松屋本陣の跡も。大磯宿と小田原宿の間は約16kmと長いため、このあたりは「梅沢の立場」と呼ばれ、茶屋や商店が軒を並べてたいへん賑わっていたのだそうです。休憩ポイントが必要なのは、江戸時代の旅人もわたしたちも同じですね。

    松屋本陣の跡。参勤交代の大名も休憩した「梅沢の立場」の中心でした

    小田原市に入りました

    二宮町を抜けると、いよいよ「小田原市」の標識が。この旅、最後の市域です。

    小田原市に突入。梅のマークがかわいい

    高台の道からは相模湾が見えて、さらには箱根の山々。「ここまで歩いたんだなあ」としみじみ感じる区間でした。

    キャプション案:高台の道から海が見えました。景色に励まされながら歩きます

    国府津——行先標識でしか知らなかった駅

    そして国府津(こうづ)に到着。

    実はわたし、国府津って電車の行先標識でしか見たことがなかったんです。「国府津行き」の電車はさんざん見てきたけれど、降りたことは一度もない。その駅に、自分の足で歩いてたどり着いてしまいました。これはちょっと感動です。

    JR国府津駅。「国府津行き」の終点に、まさか歩いて来るとは(これしか残ってませんでした・・。)

    駅前には「国府津駅開業100周年記念」の碑がありました。明治20年7月11日開業。東海道本線の花形として活躍したSLのレリーフ付きです。

    国府津駅開業100周年記念碑。明治20年開業、SLのレリーフが素敵です

    線路の向こうには富士山。だいぶ大きくなってきました。

    キャプション案:線路越しの富士山。朝より確実に近づいています

    酒匂川を渡る

    小八幡の一里塚(江戸から19番目)を過ぎて、いよいよ酒匂川(さかわがわ)へ。江戸時代には橋が架けられず、徒歩渡し(かちわたし)だった川です。

    小八幡の一里塚。江戸から19番目、小田原はもうすぐです

    橋の上からは箱根の山々が見えてきました。

    酒匂橋から箱根の山々。

    「わあ、高い山だ!」

    ……というくらいで、実はあまり実感がありませんでした(笑)。だって峠越えはどんなに早くても来年の話。この日は他人事のように、川風と景色を楽しみながらのんびり渡りました。箱根の恐ろしさを知るのは、まだ先のお話です。

    新田義貞の首塚

    酒匂川を渡ってしばらく歩くと、「新田義貞の首塚」という案内が。これは知らなかったので、しっかり確かめに行きました。

    建武の新政で活躍した新田義貞は、越前(福井県)で討死し、首は京で晒されました。家臣がその首を奪い返して主君の故郷・上野国(群馬県)へ運ぶ途中、この地で病に倒れ、やむなく首をここに埋葬した——という伝承の地です。

    新田義貞の首塚。住宅地の中にひっそりと守られています

    いまは周りに家が建っていて気づきにくいのですが、行ってみると本当に海の近く。きっと当時はこのあたりまで人は住んでいなかったのでしょうね。海辺の道を、主君の首を抱えて西から歩いてきた家臣のことを思うと、なんだか胸に迫るものがありました。

    山王口から、いよいよ小田原宿へ

    そしてついに「東海道 小田原宿」の標柱が!小田原宿の江戸側の入口、山王口(さんのうぐち)です。江戸口見附とも呼ばれ、江戸日本橋からここまで約83km。

    東海道小田原宿・山王口。日本橋から約83km、歩いてきました!

    朝の予想どおり、思ったより早い到着。疲れていたはずなのに、宿場に「入った」瞬間はやっぱり嬉しいものです。

    お祭りの小田原を歩く

    この日の小田原、実は町じゅうがお祭りでした(松原神社の例大祭だったようです)。もちろん狙ったわけではなく、まったくの偶然。

    偶然出会ったお祭り。白装束にブルーの襷が爽やかです

    かまぼこ屋さんの前をゆくお神輿。小田原らしい一枚

    通りのあちこちに注連縄が張られ、お神輿や山車が行き交います。地域に根付いているお祭りに出くわすのは楽しいですね。自分が育った地域とは違うお神輿や山車を見るのも興味深くて、しばし旅の足を止めて見入ってしまいました。

    宿場の史跡めぐりと、北条氏のお墓

    小田原宿の中心部では、清水金左ヱ門本陣跡へ。小田原宿には本陣が4軒もあった(東海道でも最大規模!)そうで、ここは明治天皇が巡幸の際に5回も宿泊された由緒ある本陣です。

    清水金左ヱ門本陣跡。箱根越えを控えた小田原宿は東海道屈指の大宿場でした

    商店街の一角では、北条氏の墓所にも立ち寄りました。正直に言うと北条氏にはそんなに詳しくないのですが(小田原の方ごめんなさい)、旅の途中で歴史上の人物のお墓にふらりと出会えるのは、街道歩きの楽しみのひとつです。お花がたくさん供えられていて、いまも大切にされていることが伝わってきました。

    北条氏政・氏照の墓所。お花が絶えない、地元に愛される一角でした

    お昼は、お刺身定食

    お昼は「さくら」というお店でお刺身定食。ごはんはいつも相方にお任せなのですが、この日はお魚になりました。海が近いですからね。きっと魚の気分だったのでしょう(適当)。

    お刺身定食。新鮮ぷりぷりで、歩いた身体に沁みました

    本当は小田原城や外郎売で有名な薬屋さんにもじっくり寄りたかったのですが、相方の「箱根に行きたい!」という希望を最優先することに。ちなみに小田原城は、ずいぶん前——まだゾウのウメ子さんが生きていた頃——に行ったことがあります。

    というわけで、最初の東海道の街道歩きはひとまず小田原宿でゴール!初めての2泊3日の旅、無事に歩ききりました。

    次回は、この日の午後のお楽しみ・箱根関所観光編です。「来年越える峠」をひと足先に、電車とバスで偵察してきました。

  • SNSの宣伝でたまたま知った、「生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ」展。いつもは絵の展覧会ばかりの私ですが、「洋服の展示」というのは初めてで、これは面白そうだと前売り券を購入しました。

    ……ところが、そこからぐずぐず、ぐずぐず。気がつけば会期終了まであと1週間。「行かねば!」と慌てて出かけたその日は、よりによって台風の大雨。おまけに前日は地震まで。

    でも、ここでピンときました。「この天気なら、きっと空いてる」。

    雨に濡れずに、美術館へ

    会場は六本木の国立新美術館。大手町で千代田線に乗り換えて、乃木坂駅へ。実はこの美術館、乃木坂駅から直結の通路でそのまま入れるのです。外はしっかり雨が降っていましたが、傘いらずでするりと到着。雨の日の美術館行きには、ほんとうにありがたい構造です。

    電車の中は、いつもの休日に比べるとすいている印象。とはいえ、「今日は空いてるかも」と同じことを考えてお出かけしている風の人も、ちらほら見かけました(行き先はいろいろでしょうが)。考えることは、みんな同じですね(笑)

    開館時間前に到着すると、読みは大当たり。会場はものすごくガラガラで、ゆったりじっくり見てまわることができました。

    黒川紀章設計の大空間。逆さの円錐とガラスの壁に、いつ来ても見とれます。

    入ってすぐの「おお!」── 着物地のドレス

    会場に足を踏み入れて、最初に「おお!」と思ったのが、着物の生地で仕立てられたドレスたちでした。

    金襴や絣といった、日本の伝統的な織物。それが、ジャケットになり、コートになり、カクテルドレスになっている。日本の生地や柄のすばらしさをちゃんと軸に置きながら、海外の人たちにも受け入れられやすいデザインに落とし込んで見せている――森英恵さんという方は、そういう仕事をしてきた人なんだなと、冒頭からぐっと引き込まれました。

    着物の生地が、ドレスやジャケットに。日本の美を、世界に伝わるかたちで。

    生地は、一枚の絵 ── 反物が舞う部屋

    そして、今回いちばん心に残った展示室がこちら。天井から、蝶や牡丹の描かれた色鮮やかな反物がずらりと吊るされ、その下に、同じ生地で仕立てられたドレスをまとったマネキンたちが立っている――という空間です。

    これはつまり、洋服の生地を「一枚の絵」に見立てて、その絵を洋服として仕立てたとき、いかに生かして見せるか、という展示なのですね。ぐるりと360度、どこから見ても絵になる。平面の絵を立体に起こす構成力とデザインの力に、ほんとうにすごいなあと、しばらくその場を離れられませんでした。

    生地は一枚の絵。宙に舞う反物と、その絵をまとったドレスたち。

    「これも芸術なんだ」── オートクチュールの世界

    正直にいいますと、私はこうったデザイナーの洋服を「自分が着られるかどうか」という基準で見てしまう人間です。その目で見ると、彼女のデザインは自分にはちょっと受け入れがたく、お値段的にも到底手の届かない世界のもの。

    ところが、生地を折り、編み、重ねて作られたオートクチュールの数々を前にして、はたと気がつきました。デザインとは、一つの表現であり芸術の世界であると同時に、人々の生活のために服を提供するという営みでもある。その両輪で成り立っているのだ、と。

    そう思えた瞬間、これまでピンとこなかったファッションショーの、プレタポルテやオートクチュールの世界観が、すとんと腑に落ちました。ああ、これも一つの芸術なんだな、と。よそ行きとはいえ、街中で着られるデザインとして折りや編みの技術を注ぎ込む――その凄みを、遅ればせながら理解した一日でした。

    折る、編む、重ねる。街で着られる服に注がれた、オートクチュールの技。

    お土産は「森英恵好み」

    ミュージアムショップでは、かわいい缶に惹かれて、缶入りクッキーをお買い上げ。米粉やキビ糖などで作られた、ヘルシーでやさしい味のクッキーでした。蝶と花々の描かれた缶は、食べ終わったあとも小物入れにできそうです。

    もうひとつ、「森英恵好み」と書かれたドリップコーヒーも興味本位で購入。エチオピアの中浅煎りだそうで、これが本当においしくて。ワインのような果実の味わいなのに酸味はひかえめで、コクのある一杯でした。森英恵さん、コーヒーの趣味もすてきです。

    「森英恵好み」のコーヒーと、蝶の舞う缶入りクッキー。

    目論見、はずれる ── 東京駅にて

    さて、せっかく大手町方面に出てきたのだからと、帰りは東京駅へ。「台風と地震だもの、きっと東京駅も空いてるはず」――そう踏んでいたのですが。

    結論。目論見は、はずれました。混んでました(笑)

    お腹がすきすぎて、駅に着くまでにまず駅そばで軽く一杯。その後キャラクターストリートへ向かったはいいものの、あいかわらずの混雑ぶりに早々に退散。前から気になっていた刀剣乱舞のお店(大丸東京)をちらっとのぞいて、家路につきました。

    ……と言いつつ、乗り換えの途中でまたお腹が空いて、焼肉を食べちゃったのはここだけの話。締めの締めは、乗った電車がめずらしい花柄のラッピング電車で、思わずぱちり。本日の散歩は、ここまでです。

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    おわりに

    台風の雨の中、駆け込みで訪れた「生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ」展。静かな会場でゆっくり向き合えたおかげか、洋服の展覧会というはじめての体験から、「デザインは芸術と生活の両輪」という、思いがけない気づきをもらって帰ってきました。

    絵の展覧会もいいけれど、こういう出会いがあるから、ジャンルの違う展示に足を運んでみるのもいいものですね。会期ぎりぎりの駆け込みも、たまには悪くない――いや、次はもう少し余裕をもって行きます(笑)

  • 東海道歩き、第三歩。前回は保土ヶ谷宿から藤沢宿まで歩きましたので、今回はその続き、藤沢宿を出発して、いよいよ大磯宿を目指します。

    時はゴールデンウィーク。新緑がまぶしく、歩くにはもってこいの季節です。前回ゴールした藤沢に、ふたたび戻ってくるところから一日が始まりました。わくわくした気持ちはあの日の続きのまま、「さあ、今日も頑張って歩くぞ」と、軽やかに一歩目を踏み出します。

    今日のスタートは藤沢宿。広重の絵に見送られて、いざ出発。

    藤沢宿のあたりには、江の島弁財天への道標や、遊行寺橋、蒔田本陣跡、問屋場跡など、宿場の名残がぽつりぽつりと残っています。問屋場跡にいたっては、今は消防出張所。かつて人馬の継ぎ立てでにぎわった場所に消防車が並んでいるのを見ると、時の流れというのはおもしろいものだなあと、しみじみしてしまいます。

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    茅ヶ崎、海へ

    藤沢から街道をどんどん西へ。茅ヶ崎に入ると、メルシャンのワイン工場や、本村のタブノキの巨木など、思いがけない見どころが次々あらわれます。

    そして茅ヶ崎駅を過ぎ、雄三通り(あの加山雄三さんにちなんだ名前だそうです)を抜けて海のほうへ向かうと――ぱあっと視界がひらけて、相模湾です。砂浜の向こうには、江の島の姿も。日差しはもうすっかり初夏で、「いやー、暑いなあ」とこぼしながらも、街道歩きで海に出る瞬間は、やっぱり格別ですね。

    海に出た! 砂浜の向こうに江の島。

    さて、お目当てはこちら。テレビや雑誌では何度も見たことのある、あの「茅ヶ崎サザンC」のモニュメントです。実物を前にすると、ミーハーな私はちょっとそわそわ。「これこれ、これが見たかったの!」と、しっかり記念に一枚おさめてきました。

    本物の「茅ヶ崎サザンC」! テレビで見たやつだ、と若干興奮。

    お昼は、やっぱり肉

    たっぷり歩いてお腹もぺこぺこ。お昼に選んだのは、しゃぶしゃぶの食べ放題のお店でした。

    我が家の昼ごはん選びは、もっぱら相方の担当。そして我が家の街道歩きは、力をつけるならやっぱりお肉、というのが揺るがぬ方針です。本音を言えば、どーんと塊肉にかぶりつきたいところなのですが、そこはお財布と相談。それでも「肉を食べないと、午後の足が動かない」というのが歩き旅の実感でして、霜降りのお肉を何種類ものつけだれでいただいて、しっかり燃料を補給しました。

    前回はハンバーグ、前々回はローストビーフ丼……と、振り返ればなかなかの肉率。我ながら、よく食べ、よく歩くものです。

    本日の燃料補給。やっぱり、肉。食べ放題でしっかりと。

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    相模川を渡る前に── 鎌倉時代の橋が、地面から

    お腹を満たして、午後の道へ。茅ヶ崎から平塚へ向かうには、大きな相模川(馬入川)を渡ります。今回いちばん心に残った場所があります。**旧相模川橋脚**です。

    第一印象は、正直に言って「……なんだ、これ?」。なんでもないような池に、木の杭のようなものがぽつぽつと頭を出しているだけ。ところが、かたわらの看板を読んで、びっくり仰天しました。

    この橋脚、なんと鎌倉時代のもの。源頼朝の家臣・稲毛重成が、亡き妻の供養のために相模川に架けた橋の脚だというのです。八百年も昔の橋が、よくぞ大正の世まで埋もれて残っていたものだなあと、それだけでも驚きでした。

    ではなぜ、それが今ここで見られるのか。きっかけは、大正十二年の関東大震災。地震による液状化現象で、地中に眠っていた橋脚が、にゅっと地表に姿をあらわしたのだそうです。

    ちなみに、いま池に頭を出して見えているのは、実は模型(レプリカ)。本物の橋脚は、傷まないよう、この模型の真下にていねいに保存されているのだそうです。なるほど、見せながら守る、という工夫なのですね。

    池に頭を出すのは模型。本物はこの真下に眠っています。「なんだこれ?」が、看板を読んで一変。

    八百年の歴史をぎゅっと伝える解説板。

    そして何より胸を打たれたのは、これを見つけた当時の人々が、ただ埋め戻してしまわずに、きちんと史跡として残してくれたこと。しかも本物は土の中で守りながら、上には模型を置いて、訪れた人にその姿を伝えてくれている。「これは大切なものだ」と気づいて守りぬいた、その見識のすごさ。八百年前の供養の橋を、今こうして自分の足で見に来られることに、ただただ感謝です。残してくれて、ありがとうございます。

    現在の橋。電車も車も人もしっかり支えて歩くことができます。

    平塚宿を抜けて

    橋脚に感動したあとは、平塚宿の中へ。ここは東海道五十三次の宿場のひとつで、本陣跡、脇本陣跡、高札場跡、問屋場跡……と、宿場を構成する史跡がきれいに残されていました。

    標柱や案内板を一つひとつ追いかけていくと、かつてここに大名行列が泊まり、人馬が行き交っていた様子が、なんとなく頭に浮かんできます。今はすっかり普通の街並みですが、足元にはちゃんと歴史が積み重なっているのですね。

    とはいえ、このあたりはもう、おしゃべりもめっきり減って、ただ黙々と歩く時間。移りゆく景色をぼんやり眺めながら、一歩一歩を重ねていきます。歩き旅というのは、こういう淡々とした時間こそが、案外いちばん長いのかもしれません。

    平塚宿本陣旧跡。今は街角に静かに立つ標柱。

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    あの珍しい形の山、大磯へ

    平塚を過ぎると、行く手に、こんもりとした美しい山が見えてきます。お椀をふせたような、なだらかで品のある姿。「なんだか珍しい形の山だなあ」と、歩きながら眺めていました。

    ……と、当時はのんきに見ていたのですが、実はこれ、**高麗山(こまやま)**という、れっきとした名所。広重の浮世絵にも描かれた、この街道きっての名物の眺めなのだそうです。知らずに「珍しい形だな」などと眺めていたとは、我ながらお恥ずかしい。でもまあ、名前を知らなくても「いい山だな」と感じる目はあったということで、よしとしましょう(笑)

    道沿いには高来神社(たかくじんじゃ)の鳥居も立っていて、いよいよ大磯町に入ってきたんだなと実感します。「大磯町」の道路標識を見たときは、ゴールが近づいてきた嬉しさで、疲れた足にもまた力が入りました。

    高来神社の鳥居の向こうに、高麗山。あとから名所と知りました。

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    大磯 ── 聖ステパノ教会と、澤田美喜さん

    大磯駅にたどり着いたあと、心に残る場所に立ち寄りました。**エリザベス・サンダース・ホーム**ゆかりの一帯です。

    ここは、地図を見ながら歩いていた相方が「この道沿いにあるよ」と教えてくれて、寄り道することにした場所。澤田美喜(さわだ みき)さんのことは、以前テレビで見て知っていました。戦後、行き場のなかった子どもたちを引き取り、育て上げた方です。その功績は、本当にすごいの一言に尽きます。

    ふと、ずっと前に見たテレビ番組のことを思い出しました。澤田さんの遺影を前に、「お母さん」と慕いながら、涙を流してインタビューに答えていた、当時育てられた男性の姿。あの涙が、彼女がどれほど深い愛情を注いだ人だったかを、何より物語っていたように思います。その場所に、こうして自分の足で立っていることが、なんだか不思議で、ありがたく感じられました。

    敷地のそばには、三角屋根のすっと高い**聖ステパノ教会**。緑と花に囲まれて、静かで凛とした佇まいでした。

    すっと天をさす、三角屋根の聖ステパノ教会。

    教会のまわりには、石を積んだ階段に立てられた、26本の十字架もありました。これは1597年に長崎で殉教した26聖人を表しているのだそうです。隠れキリシタンの歴史にも通じる、祈りの場でした。

    石段に立つ、26本の十字架。

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    夕暮れの松並木、そしてゴール

    大磯宿には、ほかにも見どころがたくさん。同志社を創った教育者・新島襄が、この地の旅館で生涯を閉じたという「新島襄終焉の地」の碑や、「湘南発祥之地 大磯」の堂々たる石碑など、立ち止まるたびに新しい発見がありました。

    それから、夕暮れの松並木。傾いた日の光が、松の木立の間からやわらかく差し込んで、なんとも言えず美しい道でした。一日歩きとおした体に、この夕方の光景はごほうびのよう。前を行く相方の後ろ姿も、どこか満ち足りて見えます。

    夕暮れの松並木を歩く

    さて、このあたりでいよいよ足が限界。「もう無理……」というところで、とりあえず飛び込んだのが、道沿いのラーメン屋さんでした。半熟卵にメンマ、海苔ののった一杯と、こんがり焼けた餃子。歩き疲れた体に、このしょっぱくて温かい一杯がしみわたります。「今日もよく歩いたね」と、餃子をつまみながらの、ささやかな打ち上げでした。

    この日の宿は、大磯プリンスホテル。道中には井上蒲鉾店というかまぼこ屋さんがあり、無添加のちょっとお高いかまぼこを買って、宿でいただきました。食べてみると、なかなかの塩気。「無添加って、こういうものなのかなあ」なんて思いつつ、ビールのおともにぺろり。歩いたあとは、なんでもおいしく感じてしまうから不思議です。

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    おわりに

    藤沢宿を出発し、茅ヶ崎の海で潮風を浴び、相模川を渡り、鎌倉時代の橋脚に驚き、平塚宿を抜けて、高麗山を望みながら大磯へ。澤田美喜さんの足跡に触れ、夕暮れの松並木を歩いて、一日が暮れていきました。

    見どころの多い、盛りだくさんの一日。歩けば歩くほど、この街道に積み重なった時間の厚みを感じます。

    次は大磯宿から、箱根の峠を目指して。

  • 東海道歩き、第二回。前回は日本橋から鈴ヶ森まで歩きましたが、今回は少し事情があって、スタート地点が飛んでいます。

    というのも――この先の街道沿いには、相方の実家があるのです。箱根駅伝のコースにもなっている、あの道沿い。「自分の実家の前を、わざわざ歩いて通るのはどうも気恥ずかしい」。そんな相方のたっての希望(?)により、その区間はまるごとスキップ。私たちは横浜の保土ヶ谷宿、相鉄線の天王町駅から、しれっと歩き始めることにしたのでした。

    空は快晴とまではいきませんが、歩くにはちょうどいい、穏やかな天気。気負わず――と言いたいところですが、歩き出しはやっぱり気合い十分。今日もわくわくしながら、二歩目を踏み出しました。

    保土ヶ谷宿 ── 静かなスタート

    時間が早いのか、連休中でもっと遠くへ行ってる人も多いのか私たちのほかに街道を歩いている人の姿は見かけません。観光地のにぎわいとは無縁の、静かなスタートです。

    天王町から保土ヶ谷宿の中を進んでいくと、旧東海道の史跡を伝える案内板が要所に立っていて、歴史を少しだけ垣間見ることができます。さらに歩くと、五月の空に鯉のぼりが泳ぎ、その下には堂々とした常夜灯。そこから続く道は、どこか昔の街道の名残をとどめていて、「ああ、東海道を歩いているんだな」としみじみ感じる一角でした。

    権太坂 ── この日の正念場、そして富士山

    さて、保土ヶ谷宿を抜けると、いよいよこの日の正念場――権太坂です。東海道きっての難所として知られる坂で、道ばたには「権太坂」と刻まれた石標が立っています。

    初めて挑む長い登り坂は、正直なところ、なかなかこたえました。じわじわと続く勾配に息も上がります。……とはいえ、これはあくまでこの時点での話。後にあの箱根の峠を越えることになる私たちからすれば、今思えば「どうってことのない坂」だったのですが、そのときはまだ知る由もありません。目の前の坂を、一歩ずつ登っていきました。

    そして登りきった先で、ふと遠くに目をやると――富士山。思いがけず姿を見せてくれた霊峰に、疲れも忘れて気持ちが晴れました。坂を越えたご褒美のような眺めです。

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    武相国境(境木)── 「ああ、そうなんだ」

    坂を登りきったところが、武蔵国と相模国の境目「境木(さかいぎ)」。地面には武相国境を示す立派な地図プレートが埋め込まれていて、「京都百十七里」などと刻まれています。

    ただ正直に言うと、このモニュメントを見ても「ああ、そうなのね」という程度で、いまひとつ実感はわきませんでした。それよりも、道路にふつうに立っている地名の標識のほうが、「本当に県境に入ったんだ」と実感がわきます。現在の地名のほうがわかりやすいですし。

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    黙々と歩く ── 生活の道を行く

    しばらく黙々と歩く区間が続きます。

    街道はゆるやかに坂を下り、住宅地のなかへ。ふと足元を見ると、坂道だけ円い滑り止め模様のついた舗装になっていたり、塀には選挙ポスターが貼ってあったり、道ばたにはパン工場の大きな看板。名所旧跡というわけではない、ごくふつうの郊外の景色ですが、こういう「生活の道」をただ歩く時間も、街道歩きの地味な楽しみです。

    途中、「旧東海道 不動坂」と書かれた案内柱が立っていました。地図には「現在地」の文字。保土ヶ谷宿と戸塚宿のちょうど中間あたり、まだ道のりは半ばです。

    お昼ごはん ── 力をつけるには、やっぱり肉

    そろそろお腹も空いてきました。通り沿いを歩いていると、ちょうどよく食事処を発見。迷わず入ります。

    メニュー選びの方針は、予算と客入り具合(比較的すぐ入れそうなとこ)。そして力をつけるには、やっぱり肉。鉄板の上でジュージューと音を立てるハンバーグを前に、午前中の権太坂で使った体力をしっかり充電しました。歩いた後の肉は、理屈ぬきにおいしい。

    戸塚宿 ── 相方の、懐かしい道

    さて、お腹も満たされたところで、いよいよ戸塚宿へ。宿場の出入口にあたる「見付」の案内板が、旧東海道らしさをそっと教えてくれます。(昼食は後ろに映ってる店で食べました)

    戸塚宿は、JRの線路が街道を横切る場所。線路ぎわには史跡の案内板や踏切をかたどったモニュメントが立ち、ちょうど電車が通り過ぎていきました。

    相方は、生まれも育ちも都内。この戸塚のあたりにも馴染みがあるようで、線路や町並みを懐かしそうに眺めていました。何やらぽつぽつ語っていたのですが……正直、ずいぶん前のことなので、何を言っていたかはもう忘れてしまいました。まあ、そういうのも旅の記録ということで。

    澤邊本陣跡 ── “かつて”を歩く

    戸塚宿の中ほどに、「澤邊本陣跡」と刻まれた石柱が立っています。本陣とは、参勤交代の大名や公家など、身分の高い人だけが泊まれた格式高い宿。戸塚宿の中心だった場所です。で、おそらく京都から東京へ移動した明治天皇の休憩場所の石碑が合わせて立っていたりしてます。

    とはいえ、ここにももう建物は残っていません。石柱と説明板が立つだけで、まわりはふつうの住宅が並んでいます。

    ——思えば、この旅で訪ねる先々が、たいていこうでした。「ここにかつて○○があった」。その”かつて”を示す石柱や案内板だけがぽつんと立ち、当時の建物そのものは、もうない。歴史は地面に刻まれているけれど、目には見えない。思いを馳せながら当時の旅人になった気分で歩くこともありました。

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    大坂松並木 ── 撮りそびれた松

    戸塚宿を出ると、道は「大坂」と呼ばれる坂にさしかかります。その名も「大坂松並木」。かつては松並木が美しかった坂道です。

    ……と、えらそうに書いていますが、実はこのとき私が撮っていたのは標柱と案内板ばかり。肝心の松並木は、あとで他の方のサイトを見て「あ、ちゃんと松、あったんだ」と気づいた始末です。この頃の私ときたら、相方に言われるがまま、宿場や案内板の写真ばかり律儀に残していて、肝心の風景を撮りそびれていたのでした。歩くことに夢中だったのですね。

    それでも、このあたりはアップダウンの続く道。坂を登るたび、ふいに視界がひらけて町並みが見渡せる瞬間があって、息を整えながらの眺めに、ずいぶん癒されました。

    藤沢宿へ ── 写真を撮ったら、はい次!

    道はいよいよ藤沢宿へと近づいていきます。旧東海道沿いには諏訪神社の鳥居が立っていて、せっかくの神社……なのですが、このときの私たちときたら、すっかりゴールを目指すモードに突入。お参りするでもなく、「写真を撮ったら、はい次!」と、足を止めるのもそこそこに先を急ぎます。神様、ごめんなさい。

    その先にも、古い松の木とともに石碑や案内板がぽつりぽつり。藤沢宿はもう目と鼻の先です。さすがに脚には疲れがたまっていましたが、不思議とテンションは高いまま。ゴールが近いと分かると、人は元気が出るものですね。

    ゴール、そして夜

    そして、ついに――JR藤沢駅に到着!

    「ついたよー! 歩いたよー、私たち!」。思わずそんな声がもれる、素直な達成感。日本橋からの続きを、今日もまた一歩ぶん、自分の足で延ばすことができました。脚はくたくたですが、心はすっかり満ち足りています。

    夜は宿泊先で食事を済ませた……はずなのですが、正直なところ、何を食べたかはもう覚えていません(いかんせん10年近く前だしw)。当時の写真に残っているのは、夜の街で見かけた、あの有名なラーメン二郎の行列。歩き疲れた体で、なぜかその列だけはしっかりカメラにおさめていたのでした。(個人的には並んででもラーメン食べたかった・・・。)

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    おわりに

    保土ヶ谷宿から、権太坂を越え、武蔵と相模の国境をまたぎ、戸塚宿を抜けて、藤沢宿へ。アップダウンに脚を使いながらも、富士山や思いがけない眺めに励まされた一日でした。

    次は藤沢宿から、大磯を目指して歩きます。

  • 東海道を歩き通そう、と決めて迎えた最初の一日。スタート地点はもちろん、五街道の起点・日本橋です。

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    日本橋 ── すべての道の始まり

    曇り空の下、午前10時前。相方と二人、日本橋のたもとに立ちました。道路の真ん中に埋め込まれた「日本国道路元標」、そしてかたわらの里程標には、横浜まで二九粁、京都まで五〇三粁、鹿児島まで一四六九粁……と、全国の都市までの距離が刻まれています。ここが本当に、すべての道の始まりなのだと実感する瞬間です。

    頭の上を首都高速が覆い、橋はすっかりその影に入ってしまっていますが、それでも欄干の風格は健在。たもとには魚河岸発祥の地の碑も残っていて、かつてここが江戸のにぎわいの中心だったことを伝えています。

    道標を前にしたときは、これから始まる長い道のりへのわくわくと、「頑張る!」という気合いと。その両方を胸に、最初の一歩を踏み出しました。

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    銀座 ── 江戸から近代へ

    京橋を過ぎ、銀座へ。この日はちょうど銀座SIXがオープンして間もない日で、真新しい商業施設の前を通りかかると手際の悪い対応に客が詰め寄っている場面に出くわしました。歴史を歩く旅の途中で、いかにも”今日の東京”らしい一コマに立ち会ったのも、なんだかおかしくて記憶に残っています。

    銀座にはもうひとつ、足を止めたい場所が。煉瓦銀座之碑とガス灯です。明治のはじめ、大火をきっかけにこの一帯は日本初の煉瓦街として生まれ変わりました。そのことを記念する碑で、隣にはやわらかな炎をともすガス灯が立っています。少し離れた歩道には「銀座の柳二世」の標柱も。かつて銀座を彩った柳並木の、その二代目です。

    ——とはいえ、正直に打ち明けると、この日は見るもの行くところがいちいち珍しくて、ひとつひとつをじっくり味わう余裕はありませんでした。あとから振り返れば「あそこ、もっと見ておけばよかった」と思うのですが、初日の高揚というのはそういうものなのかもしれません。とにかく前へ、次へ、と歩いていきました。

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    浜松町〜田町 ── これぞ、東京!

    新橋を越え、浜松町から田町へ。運河には屋形船がのんびりと浮かび、ビルの谷間にふと視線を上げると——東京タワー。私にとって東京タワーは「これぞ、東京!」の象徴で、いまだに見えるとついカメラを向けてしまう建物のひとつです。この日も、歩道橋途中に赤い塔が現れた瞬間、しっかり一枚おさめていました。

    田町では、ちょっと立ち止まりたい場所があります。「江戸開城 西郷南洲・勝海舟 会見之地」の碑。幕末、官軍が江戸に迫るなか、勝海舟と西郷隆盛がここにあった薩摩藩邸で会談し、江戸の無血開城を決めた——その歴史の舞台です。百万の市民を戦火から守った会談の地が、いまはビルの植え込みの一角に静かに残っています。

    高輪・泉岳寺 ── 江戸の関門と、忠臣蔵

    田町を過ぎ、高輪へ。ここで目を引くのが、高輪大木戸跡です。江戸時代、東海道を行き来する人や物を管理した「江戸の南の関門」で、いまも道沿いに堂々とした石垣が残っています。おもしろいのは、その石垣のすぐ上に大きなYAMAHAの看板がそびえていること。江戸の遺構と現代の風景が一枚におさまる、なんとも東京らしい眺めです。木戸を抜ければ、いよいよ旅人は江戸の外。私たちも、関所を通る気分で先へ進みます。

    さて、泉岳寺の近くまで来たら、ここはやはり外せません。「通るなら寄っていこう」と相方にリクエストして、参道へ。

    泉岳寺といえば、忠臣蔵。赤穂浪士・四十七士が眠るお寺です。祝日だったこともあってか、混み合うほどではないものの、見物客は途切れることなく訪れていました。山門をくぐると、討ち入りを率いた大石内蔵助良雄の銅像が迎えてくれます。一巻の連判状を手にした姿は、いかにも頼もしい。奥には浅野長矩公の墓、そして「血染めの梅・血染めの石」——主君が切腹した際、その血がかかったと伝わる梅と石も残されています。

    実は、私の母方の先祖は播州の出と聞いています。赤穂義士とのつながりがあるわけではないのですが、同じ播州というだけで、なんだか勝手に親近感がわいてしまいました。

    品川駅前〜昼食 ──

    高輪を下って、品川駅前へ。京急線の赤い電車が間近を走り抜け、Wing高輪の建つ交差点は車と人でにぎやか。歴史の道を歩いてきた身には、急に「現代」に引き戻されるような喧騒です。

    この辺りは電車が間近で見られることもあって大きい鉄ちゃんから小さい鉄ちゃん迄電車を眺めたり写真に収めてる人が見られました。

    ちょうどお腹も空いてきたころ、道沿いに「ローストビーフ」の看板が目に入りました。先はまだ長い。ここはひとつ力をつけておこうと、相方と二人で迷わず入店。たっぷりのローストビーフ丼は食べごたえも十分で、おいしくいただきました。旅の途中のこういう一食は、何より大切な燃料です。

    品川宿 ── 最初の宿場、その熱量

    腹ごしらえを終え、いよいよ品川宿へ。「品川宿」と染め抜かれた赤い幟が、商店街の通りにずらりとはためいています。これがなかなか気合いが入っていて、東海道の最初の宿場としての誇りが伝わってくる。北品川本通りには品川宿本陣跡の石柱も立ち、かつて大名や旅人が休んだ宿場の記憶を今に伝えています。

    品川宿を抜けると、利田神社という小さなお社があります。その境内で出会ったのが「鯨塚」。寛政十年、品川の沖に迷い込んだ大きな鯨を供養した塚で、私もこのとき初めてその存在を知りました。

    考えてみれば、品川はもともと海に面した漁師町。海苔の養殖漁でにぎわった土地です。けれど高いビルに囲まれているので、ここが海の近くかなんて分からなくなってしまう。鯨塚は、その忘れていた記憶をふと呼び戻してくれました。

    ——あとから旅を振り返って思うのは、ここ品川宿の”熱量”のことです。東海道を歩き通すと、街道に対する地域の向き合い方が、温度差があることに気づきます。歴史を誇りに、幟を立て、案内板を整え、熱心に発信している地域もあれば、かつての街道がただの生活道路として、地元の人達だけが知る道として淡々と使われている地域もある。その落差は、思いのほか大きかったです。品川宿の堂々とした姿は、これから何百キロも続くその”温度差”の、いちばん最初のサンプルだったのだなと、今になって思います。

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    涙橋から鈴ヶ森へ ──

    街道をさらに南へ。浜川橋——別名「涙橋」を渡ります。江戸時代、この先の鈴ヶ森刑場へ送られる罪人を、親族がひそかに見送った場所。橋の上で涙ながらに別れたことから、その名がついたといいます。

    そして、この日の終着点・鈴ヶ森刑場跡。火炙台や題目供養塔が、住宅やマンションに囲まれた一角に、ひっそりと残されています。八百屋お七をはじめ、数多くの人がここで命を絶たれました。

    不思議なもので、都内、都心になるとぎりぎりの場所まで人の生活であふれているのに、こうした場所には、それ以上の住まいを拒むような空気が漂っています。そしてその空気ゆえにか、まわりの営みがあまり変わらないまま受け継がれていく。人と、人ならざるものとの境目。生と死の境目。そういうものが、ふと垣間見える土地なのだと感じました。

    おわりに

    日本橋という「すべての道の起点」から歩き出し、江戸の関門・高輪大木戸を抜け、最初の宿場・品川宿で旅人らしくなり、最後は旅人を見送る涙橋と刑場跡へ。出発と別れが対になった、東海道の最初の一日でした。

  • 東京・日本橋。頭上を高速道路が走る、ごく普通の交差点です。

    でもここは、江戸時代の東海道の出発点。この場所から京都の三条大橋まで、約490kmの道が今もつながっています。

    その道を、夫婦ふたりで全部歩いてみました。

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    きっかけは、アニメでした

    ある日、新選組が出てくるアニメを観ていて、ふと思ったんです。

    「この時代の人たちって、江戸から京都まで本当に歩いて行ったんだよなぁ」と。

    そして次の瞬間、「……私も歩けるんじゃない?」というアホな発想が降ってきました。

    調べてみると、旧東海道を実際にたどって歩ける地図がちゃんと存在することが判明。

    相方に「歩いてみない?」と声をかけたら、まさかの「いいよ」。

    こうして、我が家の東海道てくてく旅が始まりました。

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    歩き方は「ちょっとずつ」

    といっても、一気に歩いたわけではありません。

    最初の一歩は、日本橋から大井競馬場まで。日帰りのお試しウォークでした。

    「意外と歩けるね」と調子に乗って、その年のGWには保土ヶ谷から小田原まで。

    そんなふうに、休みの日に少しずつ区切って歩く「分割方式」です。

    途中、コロナで2年間の中断もありました。

    気づけば足かけ6年。そして2026年。いちばんの難所、箱根の峠をついに越えて、東海道をほぼ歩き切りました。

    ……正確に言うと、「ほぼ」です。

    実は一区間だけ、大井競馬場から保土ヶ谷の間を歩いていません。

    この区間には、箱根の峠よりも高くて険しい難所があるのです。

    その名も、「相方の実家の前を通る」。

    相方に全力で拒否されました。

    おそらく今後も、この区間を歩く日は来ません(笑)

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    歩いたからこそ出会えた景色
    富士川橋にて

    富士川橋と富士山。

    実はこの川、電気の50ヘルツと60ヘルツの境目でもあります。

    車ならあっという間に通り過ぎてしまう景色。

    でも歩く旅なら、自分のペースで、好きなだけ写真が撮れます。

    欄干の富士山と本物の富士山、贅沢なツーショットです。

    名古屋・宮宿、熱田神宮にて

    名古屋・宮宿では、熱田神宮にお参り。

    境内には「草薙館」という刀剣の展示館があるのですが、時間の都合で中には入れず。

    ガラス越しに映る刀を、ただ眺めるだけでした。

    新選組のアニメから始まった旅なのに、刀はおあずけ。

    いつか旅の無事のお礼参りに来て、今度こそ間近で見たいと思っています。

    大津、琵琶湖のほとりで

    京都の手前、大津での一枚。

    ホテルのご厚意でお部屋を無料アップグレードしてもらえて、高層階からこの景色。

    6年歩いてきたご褒美のような、穏やかな琵琶湖の夕暮れでした。

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    そして、ゴール

    京都・三条大橋。東海道の終点です。

    ……正直、感動的なゴール、とはなりませんでした。到着の1時間ほど前から街中にはいったせいか急に人が増えてきました。そして橋に近づくほど、まわりは外国人観光客でいっぱい。

    「すごい人だね……」「ほぼ外国人……」と、相方とふたりで唖然。

    6年かけて歩いてきた終着点なのに、こみ上げる感動より先に、人の多さに圧倒されてしまいました。

    でも、これはこれで。

    自分の足だけで、日本橋からここまで来た。その事実は、静かに胸に残っています。

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    このブログでは、東海道のこぼれ話や、日々のお散歩のあれこれを、のんびり綴っていきます。

    よかったら、また歩きに来てください。